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【Oの食卓に花束を】

地獄・極楽の食事風景

― 三尺箸の譬えを徹底検証 ―

 三尺の箸の譬え

 縁あって「三尺箸の譬え」を聞く機会を得た。地獄と極楽の違いを、食事風景の比較によって解りやすく譬えたものだ。
 変種が多数存在するが、概ね以下の通りである。

「地獄」も「極楽」も食卓を見るだけなら何ら変わりはない。沢山のご馳走が用意されている。ただし、どちらも三尺(約91cm)もある長い箸を使って食べなければならない。
 地獄の住人たちは、先を争って食べようとするが、長すぎる箸を使いこなせず、やがて周囲と争いを起こし、せっかくのご馳走を食することができない。そのためいつも飢餓感に苛[さいな]まれている。
 極楽の住民たちは、三尺の箸でご馳走をつまむと、自分より先に向かい合う相手に食べさせてあげ、自分は相手がつまんだご馳走を食する。そのためいつも楽しく満ち足りた心持ちで暮らしている。

 このように、地獄・極楽に時間や場所の隔たりはない、ただ住民の心根次第でこの場所が地獄にも極楽にもなる≠ニ諭している。
 変種が多数存在すると述べたが、たとえばご馳走がうどんやスープやシチューと特定されていたり、箸がスプーンに変化していたり、極楽が天国になっていたり、それだけこの話は良くできた譬えで、いつしかバリエーションが豊富になったのだろう。また食事風景が映像的に眼に浮かびやすいことから、多くの宗旨で説法に用いられるようになったと考えられる。

 しかし「地獄」「極楽」と聞けば、浄土真宗僧侶としての真実求道心が立ち上がる。なぜなら「極楽」は、諸仏浄土を総称したものではなく、「阿弥陀如来の浄土」であり、浄土真宗と宗名を名乗る限りは、極楽の広大無辺な功徳を詳らかに明かす使命があるからだ。
「だろう精神は捨てよ」と先師の母は申されたと聞く。譬え話と云えども詳細に検証しなければならない。また第一歩の理解に執着して、その先にある奥深い道程を見逃すことは、仏法を窒息させてしまう結果につながる。
 以下は仏教と相応せん∞如来の真実義を解したてまつらん≠ニの思いで述べてみた。

 地獄ではなく餓鬼の特徴

足るを知らざるを餓鬼といい、足らざるを知らざるを畜生という

 最初に三尺箸の譬え話を聞いた時、私はこれは地獄というより餓鬼ではないか≠ニ感じた。{地獄・極楽の分かれ目と麻原が救われる可能性}にも書いたが、地獄は幸せのない処≠ナあり、<われらの生活を掘り下げること>で見えてくる世界である。もちろん、住人同士の争いの譬え話にはこうした地獄界の面もあるし、仏と衆生の関係で言うのなら地獄でいいが、飢餓感に苛なまれている状態を鑑みると餓鬼界の面が強いのではないか。
「餓鬼」は総じて言えば欲望や思想が我執(自己中心主義)に堕ちた者≠ナあり、まさに三尺箸の譬え話に即している。対して「地獄」は、「餓鬼」(我執)と「畜生」(無明)の業が複雑に絡み合って歴史に報いた「社会悪」のことであるから一筋縄では述べられない。「餓鬼」は「地獄」の原因の一つではあるが、その全てではないのだ。
(参照:{無三悪趣の願}
 そこで「地獄」の様子については今回は略し、「餓鬼」の様子のみを見てみることにする。

あるいは鬼あり。食吐と名づく。その身広大にして、長半由旬なり。つねに嘔吐を求むるに、困みて得ることあたはず。昔、あるいは丈夫の、みづから美食をくらひて妻子に与へず、あるいは婦人の、みづから食らひて夫子に与へざるもの、この報を受く。

『往生要集』巻上12・厭離穢土・餓鬼 より

【聖典意訳】: あるいは、食吐[じきと]と名づける鬼がいる。その身は広大で、身の長は半由旬である。いつも吐き出した汚物を求めているが、手に入らぬので困っている。むかし夫が自分は御馳走を食べながら妻子には与えなかったり、また、妻が自分は食べて、夫と子には与えなかったりした者が、この報いを受ける。
この他に――
食気[じきけ]:妻子らの前で、自分ひとり御馳走を食べた者が、この報いを受ける。
食法[じきほう]:名誉や利欲を得ようとして、不浄説法をした者が、この報いを受ける。
食水[じきすい]:酒を売るのに水増ししたり、蚓[みみず]や蛾[が]を沈めたりして、善いことをしなかった者が、この報いを受ける。
ケ望[けもう]:他の人が苦労して僅かばかりの物を手に入れたのに、それをだまし取って使った者が、この報いを受ける。
等や、
<病の苦しみに疲れきっている旅人の商品をだまし取って、わずかばかりしか代金を払わなかった者>
<人の飲食を取った者>
<日陰となる涼しい木を切った者>
などが餓鬼であると弾じられ、「慳貪と嫉妬のもの、餓鬼道に堕つ」(ものを惜しみ貪[むさぼ]り、人を嫉[ねた]む者が餓鬼道に堕ちる)と示されている。
(以上『正法念経』の引用)
 また『瑜伽論』には――
口は針の孔[あな]のようであり、腹は大きな山のようである。たとい、飲食にめぐり逢っても、食べる術がない。
やっと僅[わず]かばかりの食物にありついて食べると、それが烈しい炎に変わり、その身体を焼いて出るのである。
と示されているが、これは実に理解しやすい。 イメージ

<口は針の孔[あな]のようであり>とは、食べ物にしろ人や物にしろ境遇にしろ、縁あって手に入れることができても、そのものや物事をよく咀嚼[ソシャク]・理解できず、未消化で、真の味わいを得ることができない≠ニいう意味だろう。
<腹は大きな山のようである>とは、獲得したいと欲望をたぎらせるばかりで、得たものに満足しない≠ニいう意味だろう。
<烈しい炎に変わり、その身体を焼いて出る>とは、欲望のわずかな充足が、我執にまみれた結果、烈しい執着を起こしてしまうことを言うのだろう。
 食欲にしろ性欲にしろ名誉欲にしろ、我執がなければ烈しい炎に変わることはない。我執がはたらくと、欲望がわずかに適っただけで、あの味が忘れられない≠ニかあの肌が忘れられない≠ニか人の上に立つ快感が忘れられない≠ニいう更なる欲望が起こり、自分より欲望を叶えている他人への嫉妬の炎が燃え盛り、無理をし、やがて自分の身を破滅に導くのである。

 本当の極楽の食事風景

 では極楽(阿弥陀仏の浄土・安楽国)での食事風景は、専門の経典である浄土三部経(仏説無量寿経・仏説観無量寿経・仏説阿弥陀経)ではどう顕されているのだろう。
 まずは『仏説阿弥陀経』から――

また舎利弗、かの仏国土には、つねに天の楽をなす。黄金を地とし、昼夜六時に天の曼陀羅華を雨らす。その国の衆生、つねに清旦をもつて、おのおの衣コクをもつて、もろもろの妙華を盛れて、他方の十万億の仏を供養したてまつる。すなはち食時をもつて本国に還り到りて、飯食し経行す。舎利弗、極楽国土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり。

『仏説阿弥陀経』3・正宗分・依正段

▼意訳(現代語版より)
 また舎利弗よ、その阿弥陀仏の国には常にすぐれた音楽が奏でられている。そして大地は黄金でできていて、昼夜六時のそれぞれにきれいな曼陀羅の花が降りそそぐ。その国の人々はいつも、すがすがしい朝に、それぞれの器に美しい花を盛り、他の国々の数限りない仏がたを供養する。そして食事の時までには帰ってきて、食事をとってからしばらくの間はそのあたりを静かに歩き、身と心をととのえる。

 このように、極楽には広大無辺な功徳が次から次に降ってくるので、住民はその功徳の華を器に盛り、<他方の十万億の仏を供養>、つまり古今東西全ての人々を供養(わが身を低くして相手を尊敬)し、それから極楽に戻って食事をし、そぞろ歩きの後に心身を整えるのである。

たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、仏の神力を承けて、諸仏を供養し、一食のあひだにあまねく無数無量那由他の諸仏の国に至ることあたはずは、正覚を取らじ。

『仏説無量寿経』7・巻上・正宗分・法蔵発願・四十八願(第23願)より

▼意訳(現代語版より)
わたしが仏になるとき、わたしの国の菩薩が、わたしの不可思議な力を受けてさまざまな仏がたを供養するにあたり、一度食事をするほどの短い時間のうちに、それらの数限りない国々に至ることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。

<一食のあひだ>というのは、単に食事を摂る時という意味だけではなく、生活的な時間を表し、<天親菩薩はこれを「一念に遍く至る」とか、しかも「動かずして至る」と解釈>しているので、<自分の日常の生活が、全人類を念じて行なわれること>を願っているのであろう、と先師は解釈されている。
 (参照:{供養諸仏の願}

 では極楽での実際の食事風景はどうであろうか。

阿難、かの仏国土にもろもろの往生するものは、かくのごときの清浄の色身、もろもろの妙音声、神通功徳を具足す。処するところの宮殿・衣服・飲食・衆妙華香・荘厳の具は、なほ第六天の自然の物のごとし。もし食せんと欲ふときは、七宝の鉢器、自然に前にあり。金・銀・瑠璃・シャコH瑪瑙・珊瑚・琥珀・明月真珠、かくのごときの諸鉢、意に随ひて至る。百味の飲食、自然に盈満す。この食ありといへども、実に食するものなし。ただ色を見、香を聞ぐに、意に食をなすと以へり。自然に飽足して身心柔軟なり。味着するところなし。事已れば化して去り、時至ればまた現ず。かの仏国土は、清浄安穏にして微妙快楽なり。無為泥オンの道に次し。そのもろもろの声聞・菩薩・天・人は、智慧高明にして神通洞達せり。ことごとく同じく一類にして、形に異状なし。ただ余方に因順するがゆゑに、天人の名あり。顔貌端正にして超世希有なり。容色微妙にして、天にあらず、人にあらず。みな自然虚無の身、無極の体を受けたり

『仏説無量寿経』巻上17・正宗分・弥陀果徳・眷属荘厳

▼意訳(現代語版より)
 阿難よ、無量寿仏の国に往生したものたちは、これから述べるような清らかな体とすぐれた声と神通力の徳をそなえているのであり、その身をおく宮殿をはじめ、衣服、食べものや飲みもの、多くの美しく香り高い花、飾りの品々などは、ちょうど他化自在天のようにおのずから得ることができるのである。
 もし食事をしたいと思えば、七つの宝でできた器がおのずから目の前に現れる。その金・銀・瑠璃[るり]・シャコ・瑪瑙[めのう]・珊瑚[さんご]・琥珀[こはく]・明月真珠[みょうがつしんじゅ]などのいろいろな器が思いのままに現れて、それにはおのずからさまざまなすばらしい食べものや飲みものがあふれるほどに盛られている。しかしこのような食べものがあっても、実際に食べるものはいない。ただそれを見、香りをかぐだけで、食べおえたと感じ、おのすから満ち足りて身も心も和らぎ、決してその味に執着することはない。思いが満たされればそれらのものは消え去り、望むときにはまた現れる。
 まことに無量寿仏の国は清く安らかであり、美しく快く、そこでは涅槃のさとりに至るのである。その国の声聞・菩薩・天人・人々は、すぐれた智慧と自由自在な神通力をそなえ、姿かたちもみな同じで、何の違いもない。ただ他の世界の習慣にしたがって天人とか人間とかいうだけで、顔かたちの端正なことは世に超えすぐれており、その姿は美しく、いわゆる天人や人々のたぐいではない。すべてのものが、かたちを超えたすぐれたさとりの身を得ているのである」

 ここで誤解を解くため「現代語版」の訳を少し改めねばならない。<ことごとく同じく一類にして、形に異状なし>を「姿かたちもみな同じで、何の違いもない」と訳している。これは{悉皆金色の願}{無有好醜の願}の成就した姿だが、「果」と「報」の違いを詳説せねばならない。「果」は極楽に往生した行者の「共通の報い」であり<真心が輝く姿>であること。「報」は極楽に往生した行者の「個別の報い」であり<個性の美しさに輝く姿>を現している。<青色青光、白色白光>は「個別の報い」である。

 本論に戻る。かいつまんで言えば――
 食事をしたいと思えば、最高級の器も、最高級の食事や飲み物も思いのままに得ることができる。しかし実際にはご馳走を食するものはいない。ただ食事を見て香りをかぐだけで満足し、身も心も和らぎ、味に執着することはない。すると食事は消え去り、望めばまた現れる、といういのだ。
仙人でもあるまいに、霞[かすみ]でも食べているのか≠ニ疑問がわくかも知れないが、「極楽」が「真実願土」であり同時に「真実報土」であることが解れば、住民は食事を見て香りをかぐだけで満足する事情が解るだろう。
『涅槃経』迦葉品には、<『経』のなかに命を説きて食とす>との記述もあり、因果の差はあっても、「食」は「命」の意味を持つのである。
 さらに教学的に言えば、極楽のご馳走を口にしてしまう者は真実信心のない不定聚・邪定聚の菩薩で、極楽の辺地にある閉じた蓮の莟[つぼみ]の中に胎生し、五百年間のあいだ七宝の宮殿が牢獄ともなり、仏・菩薩を見ることなく、如来の教えを聞くことも適わず、諸仏を供養できず、功徳を積むことができないのである。
 このことは曇鸞大師も、<浄土では絶え間なく楽しみを受けるとだけ聞いて、楽しみを貪[むさぼ]るために往生を願うのであれば、往生できないのである>と忠告され、如来回向の無上菩提心を起こさねばならぬ道理を説いている。ちなみにこの「無上菩提心」は「願作仏心」であり、同時に「度衆生心」でもある。
(参照:{浄土真宗にとって「菩提心」・「浄土」とは?}
 この「無上菩提心」を起こした菩薩こそ正定聚の菩薩であり、極楽の池に咲いた蓮の華の上に化生し、ただちに仏・菩薩と遇い、阿弥陀如来より直接教えを聞き、諸仏を供養し、功徳を積むことができるのである。
 正定聚の菩薩が食事を口に運ばないということは、仏法を個人や組織で独占しないことを意味する。仏法を学んでも自分だけの利益を貪り求めることなく、浄土の様々な功徳を得ても執着することなく、一切衆生に対して如来同様「みなまさに往生すべし」と願い続けているからだ。このことは次の「衆生往生果」を読めばさらに明確になる。

 仏、阿難に告げたまはく、「かの国の菩薩は、仏の威神〔力〕を承けて、一食のあひだに十方無量の世界に往詣して、諸仏世尊を恭敬し供養したてまつらん。心の所念に随ひて、華香・伎楽・G蓋・幢幡、無数無量の供養の具、自然に化生して念に応じてすなはち至らん。珍妙殊特にして世の所有にあらず。すなはちもつてもろもろの仏・菩薩・声聞の大衆に奉散せん。〔散ぜし華は〕虚空のなかにありて化して華蓋となる。光色P爍して、香気あまねく熏ず。その華の周円、四百里なるものあり。かくのごとくうたた倍してすなはち三千大千世界に覆へり。その前後に随ひて、次いでをもつて化没す。そのもろもろの菩薩、僉然として欣悦す。虚空のなかにおいてともに天の楽を奏し、微妙の音をもつて仏徳を歌歎す。経法を聴受して歓喜すること無量なり。仏を供養しをはりていまだ食せざるのさきに、忽然として軽挙してその本国に還る」と。

『仏説無量寿経』28・巻下・正宗分・衆生往生果 より

▼意訳(現代語版より)
 続けて釈尊が仰せになる。
「その国の菩薩たちは無量寿仏のすぐれた神通力を受けて、一度食事をするほどの短い時間のうちにすべての数限りない世界に行き、さまざまな仏がたを敬い供養する。香り高い花・音楽・天蓋・幡など、思いのままに数限りない供養の品々がすぐさまおのずから現れてくるのであるが、みなとりわけすぐれて珍しく、この世では見られないものばかりである。菩薩がそれらの品々を仏がたや菩薩や声聞たちにささげると、まかれた花は空中で花の天蓋となってきらきら輝き、香りがあたり一面に広がる。この花の天蓋は、周囲が四百里のものから、だんだん大きくなって世界中をおおうほどのものまである。そしてそれらの花の天蓋は、新しいものが現れるにしたがい、前のものから次々と消えてなくなる。菩薩たちはともに喜びにひたり、空中にあって美しい音楽を奏で、すばらしい歌声で仏の徳をほめたたえ、教えを聞いて限りない喜びを得る。このようにして仏がたを供養しおわり、食事の時までに、たちまち身もかるがると無量寿仏の国に帰るのである」

『仏説阿弥陀経』にもほぼ同様のことが述べられていたが、こちらの方がもう少し詳しい。極楽の住民は如来の願力により、十方無量の世界を(身を動かずして)巡り、極楽浄土の土徳によって相手を理解し取りそろえた供養の品(参照:{供養如意の願})を古今東西の仏・菩薩・声聞たちにささげると、相手の真心と供養の善根が感応して辺り一面に咲き広がり、やがて世界中を覆うほど功徳が広がるものもある。さらにその功徳の広がりは次々と新しく覆い直され、以前の栄光にすがることはない。こうした喜びに共に浴して諸仏を供養し終われば、ただちに阿弥陀仏の極楽浄土に還るのである。

 このように極楽の真の姿は、現代社会の諸問題や外交問題解決にも智慧を与え得るし、極楽が本当に真心の報いた姿であることも解るだろう。究極の浄土である極楽浄土・安楽国は、常に全人類を念じて、しかも具体的に供養を適え続ける願いと報いの場である。

 極楽はどこにあるのか?

 しかし大きな疑問が残るだろう。――「この極楽は本当に存在するのか?」という疑問である。
 言葉だけなら、どんな荒唐無稽な理想世界でもでっち上げることができる。極楽も同様ではないのか。看板に偽りはないのだろうか。単なるファンタジーや神話世界ではないという証拠はあるのだろうか。あるというのなら、具体的に証拠がほしい。特に、極楽がどこにあるのか示してもらわなければ、誰も信じることはできないだろう。

 極楽の在り処については、一般には西方十万億土彼方にある≠ニか西のずっと遠くにある%凾ニ、中途半端な説明に留まっているが、経典にはもっときちんと書いてある。丁寧に経典を読めば、極楽の在り処は明確に示されているのだ。
 ではどこにあるのか。浄土三部経においては、それぞれ表現は違うが全て一つの地を示している。
 具体的に見ていこう。

阿難、仏にまうさく、「法蔵菩薩、すでに成仏して滅度を取りたまへりとやせん、いまだ成仏したまはずとやせん、いま現にましますとやせん」と。
仏、阿難に告げたまはく、「法蔵菩薩、いますでに成仏して、現に西方にまします。ここを去ること十万億刹なり。その仏の世界をば名づけて安楽といふ」と。

『仏説無量寿経』10・巻上・正宗分・弥陀果徳・十劫成道 より

▼意訳(現代語版より)
 阿難が釈尊にお尋ねした。
「法蔵菩薩は、仏となって、すでに世を去られたのでしょうか。あるいはまだ仏となっておられないのでしょうか。それとも仏となって、今現においでになるのでしょうか」
 釈尊が阿難に仰せになる。
「法蔵菩薩はすでに無量寿仏という仏となって、現に西方においでになる。その仏の国はここから十万億の国々を過ぎたとことにあって、名を安楽という」

そのとき世尊、韋提希に告げたまはく、「なんぢ、いま知れりやいなや。阿弥陀仏、ここを去ること遠からず。なんぢ、まさに繋念して、あきらかにかの国の浄業成じたまへるひとを観ずべし。われいまなんぢがために広くもろもろの譬へを説き、また未来世の一切凡夫の、浄業を修せんと欲はんものをして西方極楽国土に生ずることを得しめん。

『仏説観無量寿経』7・序分・発起序・散善顕行縁 より

▼意訳(現代語版より)
 そこで釈尊は韋提希に仰せになった。
 「そなたは知っているだろうか。阿弥陀仏はこの世界からそれほど遠くないところにおいでになるのである。だからそなたは思いを極楽世界にかけ、清らかな行を完成して仏になられた阿弥陀仏をはっきりと想い描くがよい。わたしは今、そなたのために極楽世界のすがたを想い描くためのいろいろな方法を説き、また清らかな行を修めたいと願う未来のすべての人々を西方の極楽世界に生れさせよう。

そのとき、仏、長老舎利弗に告げたまはく。「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽といふ。その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。

『仏説阿弥陀経』2・正宗分・依正段 より

▼意訳(現代語版より)
 そのとき釈尊は長老の舎利弗に仰せになった。
「ここから西の方へ十万億もの仏がたの国々を過ぎたところに、極楽と名づけられる世界がある。そこには阿弥陀仏と申しあげる仏がおられて、今現に教えを説いておいでになる。

『仏説無量寿経』10では、書き下し文は<ここを去ること十万億刹なり>とあるが、現代語訳では「ここから十万億の国々を過ぎたとことにあって……」と原文と異なった訳をしている。こうした自分勝手な訳を押し付けているから経典が理解できなくなるのである。「去る」と「過ぎる」では意味が全く異なる。この誤訳の問題は後にも述べることにする。
 次に『仏説観無量寿経』7では<阿弥陀仏、ここを去ること遠からず>(阿弥陀仏はこの世界からそれほど遠くないところにおいでになるのである)とある。ここの現代語訳も少し危ういが、「この世界」の解釈で何とか正法を維持できるだろう。
 最後は『仏説阿弥陀経』2、<これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり>(ここから西の方へ十万億もの仏がたの国々を過ぎたところに、極楽と名づけられる世界がある)とある。ここの現代語訳には問題はない。

 以上、浄土三部経に記された極楽の場所だが、要点としては――

  1. 十万億≠ノついて
  2. 過ぎる≠ニ去る≠フ差は何か
  3. ここを去る≠ニかこれより≠ニ言われるここ≠ヘ一体どこか
  4. 西方≠ニは何を意味しているのか
 これらが解れば全て解決する問題である。

1)十万億≠ノついて。

十万億≠ニか百千億≠ヘ、狭義では全人類の頭数=Aまた衆生の総数≠表し、さらに広義では衆生に縁ある世界の総数≠ニ理解して頂けばよい。

「十万億」とは、生きとし生けるものの数を十万億と数えたのである。つまり全人類の数が十万億あるということである。この十万億という数は、浄土教の経典だけではなく、『華厳経』系統の経は、みなこの思想の上に立ってゐるのである。『梵網経』には十万億という数の内容を次のように説いている。中央にビルシャナ仏があって、千の光明を放つ。一一の光明に一体づつの大釈迦仏がある。その千の大釈迦仏は、おのおの百億の光明を放つ。一一の光明にまた一体づつの小釈迦仏がある。その十万億の小釈迦仏は、十万億の衆生の世界に至って法を説くという。即ち一人の衆生に一つの世界があり、その一一の世界に一体づつの仏がある。この外に衆生も世界もなく、また仏もない。十万億の数を以て十方世界のことごとくを摂めつくすのである。
 この『梵網経』の思想にもとずいて、仏教国日本を建設しようとして、その理想を現わして作られたのが、奈良の大仏である。日本が仏教を受け入れた当時に於ては、経説は経意のままに正しく領解せられてゐたのであるが、時代を経るに随って、その真意を見失われて来たことは、まことに悲しいことである。

島田幸昭著/地音法灯 第二集『極楽』上巻より

2)過ぎる≠ニ去る≠フ差は何か

「過ぎる」は『仏説阿弥陀経』に<これより西方に、十万億の仏土を過ぎて>とあるが、まず法を説いている対象相手の境地・境涯を見なければならない。
『仏説阿弥陀経』では、仏は幾度も「舎利弗よ」と呼びかけてみえる。教えの内容は全人類・一切衆生を念じていても、経典は基本的に対機説法であり、この時の直接の相手は、既に出家の悟りを開き「智慧第一」と賞賛されていた長老舎利弗である。迷いは既に滅し、智慧勝れ、信心を得ている相手に対しては、その境地を翻す必要は無い。そこでそのままの境地を伸ばして一切衆生・一切諸仏を供養し極楽に行くことを願いなさい≠ニ言う意味で、<これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽といふ>と勧められたのだろう。
過ぎる≠ノついても、島田師が丁寧に内容を明かされている。

「過ぎる」とは、素通りではありません。出会う人を敬い拝み、出会う人毎から教えを受け、お育てに預かってゆくことです。しかしそれはたんに人間だけではありません。山を見ても川を見ても、鳥の鳴き声、雨の音を聞いても、日々降りかかって来る一つ一つの出来事の上に、仏の姿を見、仏の声を聞いて、人生を学び、自己を知って、自分の道を見出だしてゆくのです。

{令得天眼の願} より

これは十万億の一つ一つの仏を供養し、それによって一一の仏からお育てに預かってゆくことですから、ここでも「百千万億ナユタの諸仏の国」を過ぎて、諸仏を供養し、相手から自分も教えられてゆく、自利利他の菩薩行を行じながら、しかも自己を超え、相手を超えて、弥陀の国への旅を続けてゆく、いわば諸仏の国の視察旅行ではないでしょうか。

{神足如意の願} より

 この過ぎる≠ノ対して去る≠ヘ「人の相違」を表している。

『大経』に「ここを去る」という「去」の字は、『説文』に「人の相違なり」とある。人の相違とは世界が違うということである。たとい体は隣あって坐っていても、世界が違えば千里の距りである。暗の世界と光の世界、迷いと悟りは、その場所は隣あっていても、二つの世界には無限の距りがある。しかし「去る」と「距たる」とは違う。またある『説文』には「ともに来って相対するなり」という説明がしてある。距たるは二つのものは間隔をおいて離れ離れにあるのであるが、去るは二つのものがたがいに照らし合うて、相手を明らかにすると同時に、それによって却って自らを現わすという関係にあることである。この世をこの世と照らしてあの世があり、あの世をあの世と現わしてこの世がある。濁悪の世を照らし浄めて浄土があり、浄土のはたらく場所として濁悪の世があるのである。浄土を離れて穢土もなく、穢土を離れて浄土もない。もし穢土の自覚なくして浄土が語られ、浄土の信証なくして穢土が論ぜられるならば、それらはすべて机上の戯論であり、観念の遊戯に過ぎぬ。仏教とは自覚の教ということであり、そこに説かれてるものはすべて自覚の内容である。随ってその説は唯だ自覚を通して、自覚の内容としてうなずいて聞く外に領解の道はない。

『極楽』上巻 「たのしむ生活」 より

『仏説無量寿経』は全人類・一切衆生に呼びかけて説いているのであり、直接の説教相手も、まだ迷いの去っていない阿難である。『観無量寿経』も同様に、自業自得の苦に悩みながら、あろうことか釈尊に不平不満をぶつけた韋提希[イダイケ]夫人に対して説いている。したがって共に相手の迷いを翻す必要があるから、どちらも過ぎる≠ナはなく去る≠ニ言わざるを得ない。

 経典で言えば、<十万億の仏土>は「一切衆生悉有仏性」と覚った菩薩が、一切衆生の仏性を供養して巡ることだから過ぎる≠セが、「一切衆生悉有仏性」を覚っていない衆生に対して説く場合は、あなたが今見ている迷いの世界を翻していきなさい≠ニいう意味で去る≠アとを勧める。つまり無明・我執に閉じた衆生と極楽の住民との「人の相違」を見ていくことが重要となる。
<十万億刹>の「刹」は業によってできた世界を表し、ここでは衆生の宿業世界であり、無明・我執が絡み合った迷いの世界を言うのである。ただし「刹」の字が用いられていても「仏刹」という浄らかな業の報いでできた仏土をいう場合もある。
 ちなみに「刹土」や「国土」は、ある存在(人や主体)の身心態度の内容と、その存在を中心として創られた周囲の人々との関係性全体をいう。衆生の内面や境遇を含め、衆生の置かれている客観的事実全体を「国土・刹土」と言うのだ。
 衆生の国土はそのままでは我執・無明・社会悪の三途に穢れた荒野だが、荒野は同時に耕地ともなる。衆生の国土は仏の教化対象であり仏性の働き場である。これは『維摩経義疏』に詳説されているのだが、仏はもともと自分の国を持っていない。ではどこに仏の国を造るのかというと、衆生の荒れ果てた国土を耕し、清浄なる各種の荘厳によって麗しい仏の国を造るのである。仏の教化対象として「衆生の国土」を「仏国土」と呼ぶのだから、仏国土と言っても、浄と穢に通じて存在している。つまり仏土は、仏性によって開拓した浄土面と未開拓の穢土面が矛盾的に混在しているのだが、「煩悩即菩提」であるのと同様「穢土即浄土」とも言えるのだ。
 だから仏にとって衆生の国土は「仏の教化対象」という面もあるが、むしろ「仏の修行場」として手が合わされた面が重要となる。これは衆生こそ法蔵精神の正統な継承者であり、衆生国土こそ阿弥陀浄土の最前衛出張所であることを裏付けている。

 さらに「人の相違」を譬えると、同じ碁や将棋の盤面を見ていても、名人の眼に映る世界と素人の眼に映る世界は違う。同じ芸術作品を見ていても、芸術を深く理解している人と金銭ばかりに眼がいく人とでは、結局見ている世界が違う。
 人生も同じで、仏と衆生の住む世界は、場所に違いがある訳ではないが、見ている世界が全く違うのである。「人の相違」を「去る」で表すのはそうした意味がある。先の「過ぎる」と「去る」を混同した誤訳が、いかに真意を外した訳であるか解るだろう。

3)ここを去る≠ニかこれより≠ニ言われるここ≠ヘ一体どこか

過ぎる≠ニ去る≠ナも述べたが、ここ≠ニは空間的な場所や住所をいうのではない。<行業の果報>、つまり<それぞれの行いを原因としてもたらされた不可思議なはたらきとしてそうある>「地」がここ≠ナある。一般語で言えば、相手の「境涯」や「境地」をここ≠ニ指し、真実極楽との隔たりを述べてみえるのだ。
 このことは、以下の経文で明かされている。

そのときに阿難、仏にまうしてまうさく、「世尊、もしかの国土に須弥山なくは、その四天王およびトウ利天、なにによりてか住する」と。仏、阿難に語りたまはく、「第三の焔天、乃至、色究竟天、みななにによりてか住する」と。阿難、仏にまうさく、「行業の果報、不可思議なればなり」と。仏、阿難に語りたまはく、「行業の果報不可思議ならば、諸仏世界もまた不可思議なり。そのもろもろの衆生、功徳善力をもつて行業の地に住す。ゆゑによくしかるのみ」と。阿難、仏にまうさく、「われこの法を疑はず。ただ将来の衆生のためにその疑惑を除かんと欲するがゆゑに、この義を問ひたてまつる」と。

『仏説無量寿経』10・巻上・正宗分・弥陀果徳・十劫成道 より

 ここで阿難が釈尊にお尋ねした。
「世尊、もしその国土に須弥山がなければ、その中腹や頂上にあるはずの四天王の世界やトウ利天などは、何によってたもたれ、そこに住むことができるのでしょうか」
 すると釈尊が阿難に仰せになった。
「では、夜摩天をはじめ色究竟天までの空中にある世界は、何によってたもたれ、そこに住むことができると思うか」
 阿難が釈尊にお答えする。
「それらの天界は、それぞれの行いを原因としてもたらされた不可思議なはたらきとしてそうあるのでございます」
 釈尊が仰せになる。
「それぞれの行いを原因としてもたらされた不可思議なはたらきとしてあるというなら、仏がたの世界もまたそのようにしてたもたれているのであり、無量寿仏の国のものたちはみな、功徳の力により、その行いを原因としてもたらされたところに住んでいるのである。そこで須弥山がなくても差し支えないのである」
 阿難が申しあげる。
「世尊、わたしもそのことを疑いませんが、ただ将来の人々のために、このような疑いを除きたいと思ってお尋ねしたのでございます」

 浄土の住民は、<功徳善力をもつて行業の地に住す>(功徳の力により、その行いを原因としてもたらされたところに住んでいる)のである。この功徳は、個人的な功徳ではとても適わないが、衆生の本性である真如・仏性が本願を見出し、兆歳永劫の修行によって円成した功徳が私に回向されることによって適う功徳である。いわば細胞の一つひとつに宿る歴史的本性が名のり叫びをあげ、諸仏を通じて四十八願と成り、私に至り届いた功徳である。

 しかし釈尊が説かれる対象は、浄土三部経とも<功徳善力をもつて行業の地に住す>相手ではない。
『仏説無量寿経』の「ここ」は一切衆生の迷いの場である。『仏説阿弥陀経』の「ここ」は悟りを開き信心を得た智慧第一の場であるが、十万億の諸仏供養はまだ果たしていない。では『仏説観無量寿経』に説かれた<ここを去ること遠からず>の「ここ」は一体どこであろうか。
 これが解れば私たちにも極楽の場が目前に開けてくる。なぜならイダイケ夫人は、私たち一般人の代表であるからだ。

『大経』に「ここ」といわれた場所は、迷いの世界のことであり、『小経』に「これより」と説かれたのは、「念仏申さんと思い立つ心のおこる」そこからである。そのことは『大経』では十万億の「刹」を去ってであり、『小経』では十万億の「仏土」を過ぎてであることにも現れている。
また『観経』に「ここ」といわれたのは、『大経』の「ここ」のように、ただ迷うているのでもない。そうかといって『小経』の「ここ」のように、念仏の信心もまだ起こってはおらぬ。今までひとをとがめ世をせめていた身が、相手の身になり、相手の立場がわかるようになって見れば、誰をとがめて見ようもない。していることはみんな無理のないことである。せめている自分自身もまたその中の一人である。それにしても何と浅ましいことであり、何と悲しい悪業因縁に結ばれていることであろうか。不幸せなものは私一人と思っていたが、みんな気の毒な人間である。問題の渦中にあるわれわれだけではない。これが人生だ。ようやく人間の在り方そのもの根底に根ざす、生けるものみな底に共通する人間業がわかり、同時にそれを照らし出している真実大悲の世界がうすうす解りかけて来た。この心に向って「阿弥陀仏ここを去ること遠からず」と説かれたのである。

 三経がそれぞれ異なった三つの立場に立っての説法であることは、その序説にも明らかである。即ち『大経』は釈尊の念仏三昧の場所である「王舎城の耆闍崛山の中」で説かれ、『観経』は苦悩の牢獄と変わった王舎城の一室での説法であり、『小経』の説かれた場所は、仏弟子の修行の道場である舎衛国の祇園精舎である。また昔から『大経』は法の真実を説き、『観経』は機の真実を説き、『小経』は念仏の行を説くといわれていることにも、三経の立場の相違を知ることができるであろう。

島田幸昭著『極楽』上巻 三経の「ここ」 より

 これだけ懇切丁寧に諭していただけば私のような愚かな人間にも解るが、少し注釈を加えると、『仏説観無量寿経』(観経)のこの時点でのイダイケ夫人の状態は――提婆達多[ダイバダッタ]の企みと自業自得の罪で夫の頻婆娑羅[ビンバシャラ]王が幽閉され、それを助けようとした彼女も実の息子の阿闍世[アジャセ]に殺されかけ、幽閉されて嘆き悲み、遠く釈尊に向って礼拝し、招待を願った。願いに応じて釈尊がイダイケ夫人の前に現れると、「自分にどんな罪があってこんな悪い子を産んだのか、世尊もどうしてダイバダッタとの親族なのか」と怒りをぶつけていたが、釈尊の様々な法施によって心落ち着き、やっと極楽世界に生まれたい≠ニ願いを起こすことができた……という今の彼女の状況・立場・心情・境涯に向かっての「ここ」である。

 それは、人間共通の宿業が見え、不幸は自分だけではないと気づき、社会の地獄性・餓鬼性・畜生性の三悪道が見え、同時に地獄・餓鬼・畜生の三悪道を見せしめている真実清浄荘厳の世界の正体がうっすらと見えかけたということである。
 イダイケ夫人の世界と極楽の内容は十万億刹の開きがあるが、極楽・安楽国の名を聞き、内容を教えられ、極楽往生を願うことによって、極楽の方がイダイケ夫人に近づいて来る。足元の浄土が歴史をくぐり個人の苦悩を通って、この場に現れ出ようとしているのである。
 すると極楽浄土は真近である。ここを尊び、釈尊は<ここを去ること遠からず>と極楽の在り処をイダイケ夫人に示した。まさに時を逃さず機を得た釈尊の名指導である。

 では、うっすらと極楽が見えかけたイダイケ夫人と、はっきりと極楽を見ている釈尊の違いはどこにあるのか。それは、「天眼を得ていない」ことが理由として示される。

仏、阿難および韋提希に告げたまはく、「あきらかに聴け、あきらかに聴け、よくこれを思念せよ。如来、いま未来世の一切衆生の、煩悩の賊のために害せらるるもののために、清浄の業を説かん。善いかな韋提希、快くこの事を問へり。阿難、なんぢまさに受持して、広く多衆のために仏語を宣説すべし。如来、いま韋提希および未来世の一切衆生を教へて西方極楽世界を観ぜしむ。仏力をもつてのゆゑに、まさにかの清浄の国土を見ること、明鏡を執りてみづから面像を見るがごとくなるを得べし。かの国土の極妙の楽事を見て、心歓喜するがゆゑに、時に応じてすなはち無生法忍を得ん」と。仏、韋提希に告げたまはく、「なんぢはこれ凡夫なり。心想羸劣にして、いまだ天眼を得ざれば、遠く観ることあたはず。諸仏如来に異の方便ましまして、なんぢをして見ることを得しむ」と。

『仏説観無量寿経』8 序分・発起序・定善示観縁 より

 阿難よ、そなたはこれからわたしが説く教えを忘れずに心にとどめ、多くの人々に説きひろめるがよい。わたしは今、韋提希と未来のすべての人々が西方の極楽世界を想い描くことのできるようにしよう。仏の力によって、ちょうどくもりのない鏡に自分の顔かたちを映し出すように、その清らかな国土を見ることができるのである。そしてその国土のきわめてすぐれたすがたを見て、心は喜びに満ちあふれ、そこでただちに無生法忍を得るであろう」
 さらに釈尊は韋提希に仰せになった。
「そなたは愚かな人間で、力が劣っており、まだ天眼通を得ていないから、はるか遠くを見とおすことができない。しかし仏には特別な手だてがあって、そなたにも極楽世界を見させることができるのである」

「凡夫」とは、人間本来の尊さを覚らず、人間本来の尊い行動を実行せず、人間本来の尊い徳(信頼)を得ていない状態である。
「天眼」は天眼智[てんげんち]とも天眼通[てんげんつう]ともいうが、<どんな人をも仏として尊敬できること>をいう。
<遠く観ることあたはず>は、特別な人や身近な人は尊敬するが、自分と状況が離れた人や、身近に居ない人は軽蔑する、という差別・邪見がこびりついていることである。決して未来を予知したり遠方を透視する超能力ではない。
 これらを総じて言えば、「一切衆生悉有仏性」、「衆生即仏性」ということが本当に解ることが、天眼を得て遠く観ることが適う、という内容である。人間は本来凡夫では断じてない。ところが「悉有仏性」が見えず、自他の本質を凡夫だと誤って卑めることこそが凡夫の行状なのである。
 仏法を説いているふりをしながら、経典の意を曲げ、衆生の本性を凡夫だと卑しめる「五姓各別」等の差別・邪見こそが、「邪見驕慢悪衆生」、「獅子身中の虫」の姿に他ならないのである。
(参照:{令得天眼の願}{人間は本来、尊い仏なのですか? 罪悪深重の凡夫ですか?}

4)西方≠ニは何を意味しているのか

 以上のように、安楽国・極楽は本来無辺際であって、「西方」と説く必要はない。覚ってみればあらゆる場が極楽浄土である。娑婆といえど穢土といえども、このどこを取っても安楽国を映している。娑婆を娑婆と照らしているのが浄土である。そして浄土を浄土と示すのが娑婆だ。娑婆と浄土は表裏一体である。

 しかし、まだ覚っていない衆生に「ここを離れて極楽はない、今こそ浄土の全て」と説いても、迷っている衆生が見る「ここ」は極楽ではない。前に述べたように、衆生の考える「ここ」は仏の示したい「ここ」とは違う。「人の相違」が浄土を指す地を分けるのだ。仏の「ここ」は、衆生にとっては「彼の地」となる。
 すると、衆生に極楽を説く場合は「ここ」ではなく、別の方向を向いて「彼の地」に願いをかけさせねばならない。そこで選ばれたのが「西方」である。

 では何故「西方」が選ばれたのか?

 実はこれはかなりの難問である。覚りを得て、衆生の心根を見据えた上で「西方」と決められたのだから、情緒的なことも考慮して答えを導かねばならないだろう。
 以下、諸師のお示しを列挙するので、味わいを深めてみたい。

天地はじめて開くる時、いまだ日・月・星辰あらず。たとひ天人来下することあれども、ただ項の光をもつて照用す。その時人民多く苦悩を生ず。ここにおいて阿弥陀仏、二菩薩を遣はす。一は宝応声と名づけ、二は宝吉祥と名づく。すなはち伏羲・女窒アれなり。この二菩薩ともにあひ籌議して第七の梵天の上に向かひて、その七宝を取りてこの界に来至して、日・月・星辰二十八宿を造り、もつて天下を照らしてその四時春秋冬夏を定む。時に二菩薩ともにあひいひていはく、〈日・月・星辰二十八宿の西に行く所以は、一切の諸天・人民ことごとくともに阿弥陀仏を稽首したてまつれ〉となり。ここをもつて日・月・星辰みなことごとく心を傾けてかしこに向かふ。ゆゑに西に流る。

『須弥四域経』(『安楽集』39巻下に引用) より

【聖典意訳】:天地が初めてできた時、まだ日月や星がなかった。たとい天人が下ってくることがあっても、ただ項[うなじ]の光を用いて照らしていた。その頃の人々は多く苦しみ悩んだ。そこで阿弥陀仏が二菩薩をおつかわしになった。その一人は宝応声[ほうおうしょう]といい、他の一人は宝吉祥[ほうきっしょう]という。すなわち支那の伏羲と女禍とがこれである。この二菩薩は共に相談して第七の梵天に行き、その七宝を取って此の世界に持ってきて、日・月・星辰・二十八宿を造って、天下を照らし、春秋冬夏の四季を定めた。ときに二菩薩が共にいうには、「日・月・星辰・二十八宿がみな西に行くわけは、すべての諸天人民にことごとく共に阿弥陀仏を礼拝させるためである」と、こういうわけであるから、日・月・星辰はみな悉く心を傾けて西に向かう。ゆゑに西へ運行するのである。

 太陽も月も星々も全ては西に向かって動く。これは一切万物が往く処≠ニ同じ西方に畢竟依[ひっきょうえ]≠ェあることを示している。ゆえに西方にある浄土こそ最終的・究極的に全ての生命の依りどころとなる場である、と明かされるのだろう。

 また先師は――東方は若い血をたぎらせ、団結して現実を浄土に変革する≠ニいう革命的行動を誘発することを覚りとするのに対し、西方はあくまで組織を離れ一人になり現実の喧騒から一歩身を引いてみた時、「わが魂の底深く」(※註:魂と霊魂は違う)より呼び覚まされることを真の覚りとした、という違いも明かされる。

 阿弥陀の浄土が西にあるということは、アシュクの浄土が東にあるということを念頭に入れておかねばならぬ。<中略>アシュクの浄土が東にあり、アミダの浄土が西にあるということは間違いない。東と西の違いは、今日では理性の発達でたんに方向の違いと理解されているようですが、二千年昔の人々には感覚の相違で、阿弥陀の浄土は西にあると聞けば、生活感情を以て文句なしに頷けたのでしょう。
 朝露を踏んで野良に行く。東の空が明け初める頃、真紅に燃えてあかあかと耀く曉の光の下では、八十の老翁も手を振り足を伸ばして、力の限り羽ばたいてみたい若い血潮が全身に漲[みなぎ]るでしょう。「見よ、東海の空明けて、旭日高く輝けば、天地の精気溌剌と希望は躍る」、それが東の感覚です。地上に浄土を打ち建てんとするアシュクの妙喜国が東にあるとは、この感覚で説かれたのでしょう。

 一日の疲れを覚えて鍬を杖に立ちながら、あのやわらかな夕日の光を仰ぐ時、誰がわが来し方、世界の行く末を思わぬ者があるでしょうか。<中略>眼の前のことのみに心奪われている私たちを駆って、この孤独の中に立たしめる、それが西の感覚です。
 西の光によって呼び醒まされた魂、これこそ無始よりこの方 見失っていた本来の自己であり真実の我です。この今新たに目覚めた心に聞こえて来る「おいおい」という声なき声、今初めて聞く声ではあるが、久遠の昔より「わが魂の底深く 名告り続け」呼び続けていた声です。全人類、生きとし生けるものみなの魂の底に響き渡っているこの声、私たちが今まであくせくと追い求めていたものを全てを否定して、「世間虚仮」、「よろずのこと皆もって空ごとたわごとまことあることなし」と、投げ出さしめて止まぬ光、この声なく声、光なき光、微かなれど力強い、その真実であることを疑うことのできぬ至高の権威。これこそ「わが魂の底深く名告り続ける久遠の」如来の声であり、魂の故郷、浄土の光です。
<中略>
人間の煩悩によごされていない自然も美しいが、人間の真心の染み着いた行為的世界はもっと美しい。美しいものは景色や花だけではない、見ている自分の眼も顔も、昔の猿のままではなく、これらは皆先祖が永い歴史を通して造り上げた、青い色には青い光、赤い色には赤い光の蓮華蔵荘厳世界と称えられた行為的世界の「本願成就の報土」です。「人声やこの道帰る秋の暮」。

「西方の感覚と夕方そのもの」八葉通信15号/無峰 より

 日々汗を流して働いて、ふと夕日を見ると、そこには組織を離れて一人になった私の本音や人々の心象風景が映し出されている。十方世界の中心であり、あらゆる生命が往き願う極楽を、あえて「西方」と定められた仏意は、心ある者ならば胸に響いてくるのではないだろうか。

愛宕山入る日の如くあかあかと 燃やし尽くさん残れる命
(西田幾多郎)

 (参照:{初めて往く極楽浄土がなぜ「魂の故郷」と表現されるのでしょう?}{浄土理解の相違点}

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