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【本・映画等の紹介、評論】

手塚治虫「戦争漫画」傑作選 U

手塚治虫 著/祥伝社新書

戦争の悲惨さを再認識

 {手塚治虫「戦争漫画」傑作選}に続いて、戦争をテーマにした手塚治虫作品集。前回は第二次世界大戦がテーマだったが、今回は、主にベトナム戦争をテーマにした作品が集められている。(第二次世界大戦=「カノン」「足柄山の金太郎」「1985への出発」。他はベトナム戦争がテーマ。「溶けた男」は両戦争に底通した問題)
 ブラック・ジャックやアイエルなど、個性が強いキャラクターも登場しているのだが、戦争を見つめる手塚の目にぶれは無い。以下1同様、ストーリーの一部と、個人的な感想を述べてみる。

 ベトナム戦争の痛みも

カノン……初出誌:「漫画アクション」1974年8月8日号
ストーリー: 東京の小学校に勤める加納教頭は、近頃人生がめっきり味気なく見えだしていた。そんな折、故郷西ノ沢小学校で開かれるクラス会の通知を受け取った。30年ぶりに西ノ沢に降り立った加納は、過疎化が進んだ村の景色と、5年前に既に廃校となった母校校舎に心を痛める。ところがそこに現れたのは、卒業当初と全く変らぬ友人たちと先生だった。やがて加納は、卒業式直後に小学校が激しい空爆に襲われたことを思い出す。

<おれたちゃ これでもまだ希望持っとった 生きたいって希望だ。それを子どもに持たせなきゃ 先生がつとまるかよっ>という少年の訴えは、過去にばかりこだわり、今を懸命に生きることを忘れがちな現代人には痛い言葉だ。なお、私たちには空襲は戦略的な軍事施設のみを狙う≠ニいう希望的観測があるが、この話の通り事実は全く異なる。戦争に希望を託すことは避けるべきであろう。

ジョーを訪ねた男……初出誌:「プレイコミック」1968年9月25日号
ベトナム戦争で死んだ黒人兵士ジョー・ロビンズの家族を、一人の男(オハラ大尉)が訪ねて来る。オハラは、ジョーが所属していた隊の元指揮官だが、黒人に対して強い偏見を持っていて、ジョーが家族に宛てた手紙には「鬼のような人間だ」と書かれてあった。ところがオハラは心臓移植手術を受けていて……

最後にかすかな光明が灯ったかと思うと、それさえも消し去ってしまう、何ともやり切れない後味の悪い話。しかしこうした悲惨な筋立てを「必然」として見せる手塚の人生観は、否定できない事実の上に築かれたものなのだろう。最後の一こまを黒一色で塗る手法は実に効果的である。

ブラック・ジャック あつい夜……初出誌:「週刊少年チャンピオン」1977年5月23日号
例によって金さえ積めばどんな重症でも直してしまうブラック・ジャック。今回は元アメリカ兵のダグラス氏よりの依頼。既に3度も致命傷から救っているが、退院祝いの日にブラック・ジャックは睡眠薬を飲まされてしまい……

<戦争は人間のひとりやふたり殺しても罰せられん。だが……戦争が終わるととたんに殺人は犯罪になってしまう。こんな不都合なことがあるのか!?>と叫ぶベトナム人医師。ここに戦争の根本的な不合理がある。

ブラック・ジャック 魔王大尉……初出誌:「週刊少年チャンピオン」1975年10月27日号
もうひとつブラック・ジャックの神業が発揮される話。かつて「サターン」とあだ名されたケネス大尉は、ベトナム戦争でグチャン村を焼き払った事件の首謀者。ブラック・ジャックは大尉から頭の中に留まった一発の銃弾を取り出してほしい≠ニの依頼を受けるが、グチャン村生き残りの子ども達からは手術の中止を訴えられる。

戦争が泥沼化すると必然的に虐殺事件が起きる。第二次世界大戦しかり、ベトナム戦争しかり。残虐行為をはたらいた者は異口同音に「戦争で人間が死ぬのはあたりまえだ」と正当性を主張するが、心の奥底に溜まった悩みは深いものがあるだろう。戦争・戦闘は今も世界各地で続いている。その地で何が起こりつつあるのか、彼らの深層に思いを馳せる。

ミッドナイト 足柄山の金太郎……初出誌:「週刊少年チャンピオン」1986年8月1日号
「足柄山の金太郎」を歌いながら自分の父親を探しに来日したロブ・ロー氏。カタンドゥアネス島出身のこの男は、戦時中に日本兵と島の娘の間にできた子で、既に41歳になっていた。ロブは「日本人は親切だ」と聞き希望を持って来日したが、次々に金銭を騙し取られて絶望しかかっていた。タクシードライバーのミッドナイト≠ヘ同情し、知り合いのラーメン軒のオッサンに秘かに「一時間ほど親になってくれ」と頼むのだが……

ベタな人情話だが、読み終わると金太郎さん、それならもっと早く……≠ニ言いたくなる展開。こうした親子関係はどんな戦争でも生み出されるものだが、できたら両地域であたたかく受け入れられるようにしたい、と願う。

0次元の丘……初出誌:「週刊少年サンデー」1969年3月30日号
9歳になる山岡利夫(トッポー)は、エドアルド=フォン=ベルヌ指揮「トゥネラの白鳥」を聴くと、大きな木と石の壁が目にうかぶ≠ニいう。やがて、自分はルン=ジェムという少女で、ベトナムのリエンタ村に住んでいた≠ニまで妄想が増したため、兄は心配し、謎解きのためベトナムに同行する。空港で、同様の謎を持った五組の家族が出会い、指揮者ベルヌとも対面するが……

これもベトナム戦争中の虐殺事件がからんだ話。死の淵の丘と、音楽と、戦争と、輪廻転生を織り交ぜたストーリーがスリリングに展開してゆく。

ザ・クレーター 溶けた男……初出誌:「ビッグコミック」1969年9月10日号
R大学の研究室で佐藤栄作(元総理大臣と同姓同名だが別人)は、アメリカ極東軍からたのまれたある研究を行っていた。それはベトナム戦争にからむ極秘研究で、特殊な酸化化合物を作成する実験だった。ある晩佐藤は、深夜に関わらずある教室から灯りが漏れているのに気づく。教室には丸坊主の学生(岡田四郎)が一人居るのだが、全体的に古めかしい印象の部屋で、貼ってある地図も戦前のものだった。気になった佐藤はある日、学生課に岡田のことを尋ねるが、そんな名の学生は いま在学していません≠ニいう。

軍の秘密実験というものは、いつの時代も怪しげで、確実に悲劇をもたらしてきた。その最たるものは核実験だが、毒ガスや細菌兵器なども大きな災厄をもたらした。戦争になれば勝利のため≠ニして、あらゆる非人道的な実験も可能になる。科学者たちよ、人間としての道を踏み外すな、と言いたい。そして政治家にも、人間の尊厳を脅かすような環境を造るな、と言いたい。なぜなら人道や尊厳は、大切でありながら、簡単に踏みにじることが可能なものだからだ。

I.L 南から来た男……初出誌:「ビックコミック」1970年1月10日号
I.L(アイエル)は、棺に入るとどんな者にでも変身できる女。その彼女に変身を依頼したのは、ベトナム戦争でソンミ村の虐殺事件に関わった脱走兵ボブ・ヘンリード軍曹。既に5人の女を強姦殺傷した証拠が挙がっていたが、アイエルを5人そっくりに変身させて彼女たちは生きている≠ニいう偽の証拠を見せて堂々と帰国するつもりだ。アイエルは全てを察知し、依頼を拒否するが……

ソンミ村の虐殺事件は、1968年3月16日に実際に起きた事件。軍は隠蔽し続けたが、1年半後には暴露され、以後アメリカ軍は国内外の支持を失った。「動くものは撃て 動かないものは焼きはらえ」と命令する罪と、強姦の罪。どちらも戦争のおぞましさ、やり切れなさが漂うが、話の結末には疑問が残る。

イエロー・ダスト……初出誌:「ヤングコミック」1972年7月12日号
沖縄で米軍子弟小学校バスが襲われ、学園児ら23人が旧沖縄作戦本部海軍壕に拉致された。ここは逃亡は難しいが立てこもるには格好の場所。犯人はベトナム戦争に従軍した日本人労務者で、かつては米軍に友好的だった3人だが、2度の軍労務で人格が激変していたのだ。彼らはあらかじめ瑞慶覧基地から食料を略奪し、「bP2」と書かれた軍料食を皆に配ったのだが……

戦争に従事した者は、兵士も労務者も例外なく精神に深い傷を負う。帰還兵が後に凶悪事件を起こす事実はよく聞くところであるが、国家がその賠償に応じることはあるのだろうか。また最後の決着の仕方は、今につながる日米の力関係を表していると言え、鬱屈とした気持ちにならざるを得ない。

1985への出発……初出誌:「月刊少年ジャンプ」1985年7月号
終戦間もない焼け野原の日本。親も家も失った戦災孤児たちは、悲しみに暮れる余裕さえなく、日々飢えをしのいで暮らしていた。彼らは戦争を憎む気持ちは誰にも負けなかった。そんな孤児たちの前に謎の爺が現れ、この路地を進めば40年後の世界にぬける、と告げた。

作品発表が1985年だから、経済が絶好調の頃だ。当時やがてアメリカを抜いて世界一の経済大国になるのではないか≠ニいう憶測さえ流れていて日本人は自信満々。しかしこの「今」の日本を戦災孤児たちが見たらどうだろう、特に戦争を憎む気持ちは貫かれているのか、と作者は問うている。手塚自身が手を染めてきた漫画やアニメ、ロボットの扱いが、当時の「今」、あまりにも無邪気な戦闘ごっこに走りすぎているのではないか。実際の戦争はこんなもんじゃないんだゾ≠ニいう体験を背に現状を批判・警告しているのである。ならばその延長上にある、今の「今」、の日本文化を私たちは問わねばならないだろう。

[Shinsui]平成19年9月10日


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