平成アーカイブス <研修会の記録>
以前 他サイトに掲載していた内容です
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9月27日勉強会1 [講師:西光義敞先生]
: 『家族・家庭』というのはすごく大きなテーマで、このあいだ話を聞かせてもらったところでは、どこからでもアプローチができるわけですけれど、寺院生活者というのは現在ではかなり特殊だと思ってます。しかし、それも時代の波とともに複合家族が核家族になって、その核家族すら解体していってる、という状況の中で、寺は寺なりに色々な家族家庭問題があり、7・8人の声を聞かせてもらっただけでも、もう違うんですね。
独身の方もあり、結婚した方もある。女性の方が結婚を望まない問題だとか、お父さんと住んでいるけれど亡くなったお母さんのことを色々思い出すと。そういう形で、家族内の色んな親子・夫婦・親類関係で悩んだり、トラブルをかかえることが色々あります。今日は、それをどういうふうに発展させて考えるか。皆さんとご相談の上、と思って来ました。
夕べ、お電話いただいた時に、私が長らくカウンセリングをやってきたもんですから、それならばカウンセリングを、これは地域や檀家の人の相談を受けることもあるだろうし、インターネットを通しても色々質問を受けるし、だからそこに絞って少しずつ勉強を、とこういうことでしたんで、じゃあ、そういう方向でしたら焦点が絞られていいので、そうしましょうか、というところで電話を切らしてもらったんですが、そういうことでよろしいんでしょうか。
: 今日は前回出席していない人が3人がいますが、前回はフリートークで、お互いのもっている悩みや問題点を具体的に話してみました。今回、自分の悩みを言ってもいいのですが、お勤めするということは、各家庭を回らせてもらいますんで、こちらがカウンセリングの専門家でなくても、それに次ぐような、何かポイントがほしいな、と思うのです。
: 相談を受ける方ですね。
: ええ、そうです。私としても、お経参りし始めた時は、浄土真宗に関する勉強も未熟でした。変な話ですが、浄土真宗というのは、下手に聞きかじった段階でお勤めに回ると、喧嘩になるんですよ。
これは最初のうちはよく経験したんですが、先方は「先祖供養」ということ、特に「追善供養」を求めてくる訳です。それで、最初のうちは私も四角四面に「違いますよ」という話をしてたんですけど、勉強するうち段々と、「先祖供養というのは大事だな」というか、先祖供養でつながっていく部分は多い、ということをまず気付きました。で、「追善供養」ということでなくて、「本当の先祖供養をしていくのが念仏だな」、と最近は思ってきたんです。そして、僧侶は各家庭に出て、カウンセリング的なことをすべきだな、と最近は思っているんです。
もう一つは、残念なことですけど、お檀家さんの中で自殺された方がみえるんですね。全く知らない人であればいざ知らず、何度か会ったことのある人が自殺されたりすると、<自分はちゃんと役目を果したんだろうか>、<僧侶として悩みを聞いていなかったのではないか>、<相談に応えていなかったのではないか>と慚愧し、これからは応えていきたいと思い、カウンセリング的なこともやっていきたいと思うんです。相手のどういうところに気をつけたらよいか、話をどう聞けばいいのか、を教えていただきたいのです。私はそういう気持ちで寄せていただきました。
: 色んな相談を受けたり、僧侶として相手の方と対立・葛藤になったり、自殺される方もみえるが、何かこちらの対応がもう少し何とかできたなら防げたのではないか。だとしたら、そういう人たちにどうしたら良いのか、と、こういうことですね。
今のお聞きになって、<私はこういう関心があります>とか、他にございますか? <私も身の回りとか、こういうことで相談を受けて戸惑った>と、具体的でもよろしいし、<実は私自信がこういうことで悩んでいる>ということでもよろしいが、何かございませんか?
: 先ほどのお話と若干同じなのですが、やはり御門徒さんと僧侶では、仏教の見方が違っています。御門徒さんは何かにつけて「供養してほしい」とおっしゃいます。
また、私の言葉や方言を聞いて「どちらのご出身ですか?」と聞かれ、私が「滋賀県から参りました」と言いますと、「ご修行ですか?」と言われるわけですね。それで最初のうちは「いえいえ浄土真宗では修行はしません」と説明させていただいたんですが、この数が余りにも多いので、段々こちらも気が滅入ってくるというか、しんどくなってきました。
しかし「追善供養はしないんですよ」ということを、きちんとお話することも課題だと思いますし、それができるようになってから、真宗を通したカウンセリングができるんではないか、と思っているんで。
: いわゆる「追善供養」を御門徒さんが要求するから困る、と最初は私も思っていたので否定していたんですが、否定せずに色々聞いているうちに、追善だけではないな、と、それが段々見えてきました。
「供養」というのは「讃嘆供養」ですから別に悪くないというか奨励されるべきことでよね。先祖供養が仏供養に発展していけば良いわけだから、「最終的には」という話は置いておいて、最初に「先祖供養を」と言われた時に嫌な顔をするかどうか。こっちは顔に出るんですよ。<しょうがないでやっとる>と思っていたら顔に出ます。で、お説教を聞いてみえない人は、先祖供養以外にないんですよ。「阿弥陀さんは、はるか遠い、よくわからん存在」な訳ですよ、最初は。
これ、当然なんですよ。だから、僧侶が<本当は違うんですけど・・・>と顔に出した段階で、自分で溝を作っている、というのが段々分かってきました。
: お寺にせっかく足を運んでこられて、「今日は親の命日で供養してほしい」と言われて、「うちは供養する寺ではございません」などと追い払うのではなく、供養しようという気持ちが大切なわけですよね。「供養」という言葉についついこだわってしまうけど。
: 「供養」って「讃嘆供養」で、これは大事なんですよね。それが<自分の先祖だけ>とか、<ある人だけ>とこだわっているから問題ですが、一般の人は、そこから入って奥へ行けばいいわけだから、僧侶もその導きに本気になれば、そのうち自ずと手が合わさってきます。
僧侶になりたての頃は、それに気付かず、自分でわざわざ御門徒さんと溝を作ってきました。これ以外にも、溝は自分達で作っているのかな。僧侶が溝を作ってきたのではないかと思います。浄土真宗はそれが多すぎるんじゃないでしょうか。それが私の最近の感想なんですが。
: 今のは、寺の僧侶の具体的な話ですが、お寺さんでない方で、聞いておられて何か感想はありますか?
: 私は、子ども会から別院に遊びに来たりしてましたので、お経や教えに違和感は感じないのですが、先ほどの問題は、正直いって分からないんです、何とも言い難いですね。
: カウンセリングの立場は、対応の仕方がかなりはっきりしているんです。カウンセリングのことについて関心を持たれるのでしたら、講義を聴かれるか、研修を受けられるか。どうされますか?
今のように相談受けて困ったとか、浄土真宗の責任ある立場の方やから、浄土真宗の教えにもとるようなことを言われても困る、と。しかし「そういう考え方はしないんだ」ということで、初めから溝を作ってはいけない、とか。非常に具体的な意見が出ました。今おっしゃってるような疑問や悩みはございます?
: 亡くなった方に対して手を合わせる、ということがほとんどだと思います。別にそれを否定するつもりもありませんし、<それがすべてじゃないですよ>という気持ちはあるんですが、それだけを言ってしまうと溝が広がって、完全にすれ違いになってしまいます。
ですから、そこを入口として、そこから入っていくものだと思いますので、そこから先は私たちの責任だと思うんです。そこはまだ未熟ですので、なかなか良い道筋というのが立てられない状況の悩みはあります。
: 御門徒の方が手を合わせて仏様を拝まれるのは、先祖供養とかそんなとこじゃないだろうか、と。浄土真宗の教えとは離れていることは体験すると。しかしそこにいきなり「浄土真宗では」と言ってしまうと溝ができるばっかりやから、それはそれとしておいて、それをご縁として、段々と浄土真宗の教えに心寄せていただくようにしていくのが良いんじゃないかな、というんですね。
: きちんと導いてみえますよね。私は青臭くやってぶつかりましたけど、大人の対応ができてますね。
: 疑問は自分の中にあったんですけど、それを出さずに。
: そこが大人だなー、良い意味で。
: <私は住職だ>とか、檀家と僧侶という役目や使命感とか<教えが外れてる>とかいうのは、一度全部脱いでみやりましょう。カウンセリングを勉強していただいた上で、「そういう一般的なことではいかん」というふうに語られたら、それは皆さんが元に戻していただけばよろしいんです。
ちょっとカウンセリングとは何なのか、悩み相談とは何なのか、ということを、一度いろはのいから、原点から聞いてみよう、という立場からスタートしていただけると、私はありがたいのですが。
: お願いします。
: で、今のような話をどうするか、ということも含め、色んな方法があるんですけど、「カウンセリングとはこういうものですよ」というのを説明する、それだけでも、もう10分や20分では簡単にいきません。
だから、「水泳を習いたい」という人には、「水泳習いたかったなら、まず水に浸かることや」と、「とにかく水に浸かって犬掻きでも何でもいいからやってみろ」と。体験が大事や。ケアなら、「とにかくさわってごらん」と、「どこ触ったらどんな音がするのか、とにかくやってごらん」と。体験学習というのは、そういうものですよね。だからまず、相談というのは、相談を持ちかける方と、聞く方がいるわけでしょう。それを今ここで、すぐ一遍やってみる、という方法があるね。
今日は初めてだから5分間でいいわ。初めのところの5分間。ずっと続くでしょうけれど、今おっしゃったようなことを、是非やってみようと思うならば、今度はあなたがそれを問いかける人になってみる。檀家さんになってみる。
: 私が檀家さんになるんですか?
: その役をやってください。それで、あちらの方に応える役をしてもらう。あるいは逆でもよろしい。今、話に出ているのを取り上げて、聞き役のカウンセラーと、相談を持ちかけるクライアントという形でやってみましょう。
これは「ロールプレイ」と言います。また、今のお檀家さんと僧侶のケースだけではなく、違った関係のカウンセリングもやってみましょう。それを録音してもらって、後で聞きながら、どこにどういう問題があるのか、ということをやっていくと、体験学習となります。
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