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【十界モニター】

コロナウィルス禍における差別

身体は隔離しても心は離さないで

 元号が変わると

「元号が変わると世界も変わる」という話を聞いたことがある。偶然だろうし一種の都市伝説のようなものだが、思い当たる節がないわけでもない。

 明治になった時は鎖国が解かれたので当然だが、大正に入ると明治時代の緊張感が解けて開放的もしくは弛緩した空気になった。また昭和に入ると世界大恐慌のあおりで人心引き締めが起こり日本は一気に軍事国家になった。
 敗戦後は高度成長から幾度も好景気が続いたが、平成に入って東西冷戦構造が終わると日本の地政学的な有利がなくなり、大不況に陥ると同時に世情も弛緩していった。

 さて令和に入ると、何となく人心引き締め的な空気が流れていたが、感染症拡大問題ひとつで世界が一気に凍りついてしまった。去年の秋、ラグビー・ワールドカップ日本大会が成功裏に終わった時には全く想像しなかった状況である。

 東西冷戦の終焉もパンデミック問題もなぜか元号の変更時に起こっている。もちろん偶然なのだろうが、世界が複雑につながっていう面を考えると、元号の変更も世界の変化と無関係でないのかも知れない。

 大感染症時代の迎え方

 感染症に対峙するのは医学や政治が最前線となるが、私たちの心のあり方も問われるだろう。身体的な隔離を一定期間継続する効果は周知の通りだが、ここで問題となってくるのは、感染者に対する精神的な忌避である。医療関係者に対する忌避は論外だが、患者やその家族に対する差別的な視線も問題だ。

 感染者もなりたくてなったわけではないし、行動の制限も出来る人とできない人もいる。気をつけていても今回のウィルスは感染力が強い。やがて世界中の大感染の影響も受けるだろうから、完全な収束はかなり先になるだろう。自分が感染する確率も少なくない。

 すると、感染者に対する差別は回り回って自身の孤立につながる。ディスタンスは身体だけにして、心は皆がつながっていなければ絶望に陥る。

 苦しい時代は皆がともに困難を乗り越える心構えが必要となる。そのためには、痛みは平等に背負い共感すること。それがよりよい世界の創造につながるのだから。

令和2年5月1日  [Shinsui]

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