「諸行無常」は人生の空しさを表しているのですか?
たとえば蓮如上人の著された『御文章』の中に、いわゆる「白骨章」(五帖16)があります。この章を読むと、無常観にとどまらず、「寂しさ」や「人生の空しさ」、下手をすると「虚無感」や「厭世観」さえ湧いてくる場合があります。これは上人の真意なのでしょうか。またその真意は如来の真実義と相応しているのでしょうか。時代背景なども考慮して味わってみます。
「仏教」と聞いて日本人が第一に思い起こすのは、やはり「諸行無常」という言葉でしょう。これは現代のみならず、たとえば『平家物語』でも巻第一の最初に――
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹 の花の色、盛者必衰 のことわりをあらはす。[ 奢 れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、[ 偏 に風の中の塵に同じ。[
とさっそく「諸行無常」が登場します。しかも、<沙羅双樹の花の色>とか<盛者必衰>、<奢れる人も久しからず>、<たけき者も遂にはほろびぬ>と続きますと、やはり「人生の空しさ」や「厭世観」につながりかねない要素も持っているといえるでしょう。これは日本人が仏教を受容した際の、ある種の情緒的な「癖」が影響した結果なのです。
では経家(諸仏)が「諸行無常」とか「諸法無我」と説かれる真意はどこにあったのでしょう。
詳細は略し結論だけ申しますと、仏教は菩提心・真心の宗教であり、修行・浄業の因縁によって人生を善処し、清浄・荘厳の果報を自他に得てゆく教えなのです。変革不可能な運命に従って生きよ≠ニ命令する宗教ではありません。「変革可能」の大筋に随って「諸行無常」の法が説かれたのです。
つまり「諸行無常」と説かれたのは、「人生の空しさ」や「厭世観」を伝えたいのではなく、現状が悲惨でも、心がけと努力次第で輝かしい人生を得ることができる≠ニか人間は修行次第で仏になれる≠ニ、自己改革の可能性を大いに示唆し、社会を創造していく積極的な流れの中で「無常」と説かれたのです。
(参照:{災害と運命論の問題点})
これは「諸法無我」も同じで、たとえば「凡夫」としか言えない今の私も、それは固定的実体ではなく、法の潤いがあれば必ず仏に成れる≠ニ、修行の無限の可能性を示している言葉なのです。総じていえば無常・無我は、修行の意味やモチベーションを与える原理でありましょう。
ただし、<盛者必衰>の裏返しで貧者必盛≠ニかよわき者も遂にはたけき者になる≠ニ言いたいのではありません。「禍福は糾える縄の如し」の幸せは本当の幸せではないのです。金銭や名誉ばかり求めているのは我執・無明の欲望で、これらを得るためには身を汚さねばならず、たとえ欲望が叶っても、福を保つ際にまた身を汚し、福を失う苦しみが身を破滅させてしまうのです。これを「流転」といいますが、流転は苦しみの中でもがき続ける迷いの衆生の有様をいいます。
仏教では、流転する原因の「欲望」を、不純な煩悩と純粋な菩提心に割り開き、智慧によってコントロールし、方向づけ、人生の覚りと徳を得る「願い」に転じることを勧めるのです。
先に仏教は菩提心・真心の宗教≠ニ言った意味はここにあり、また日本人が仏教を受容した際の、ある種の情緒的な「癖」≠ニ言わざるを得ない「諸行無常」の消極的な誤解もここに明らかとなるでしょう。
では、中世日本において、蓮如上人の書かれた『御文章』について具体的に見てみましょう。
『御文章』は、蓮如上人が教化活動のため長年(寛正二年[1461年]〜明応七年[1498年])にわたって信徒の方々に書き送られた手紙の集大であり、当時の人々の心情と仏法との接点が解る貴重な資料です。この時代は度々起こる戦乱と飢饉で、庶民は未来に絶望せざるを得ない時代であり、学問をする機会も得られず、成仏・浄土往生など望むべくもない境遇にありました。
蓮如上人自身も前半生は物質的には決して豊かではない環境にありましたが、常に仏法研鑽に励まれ、多くの著や編纂本を残されました。その中でも『正信偈大意』や『真宗相伝叢書(真宗相伝義書)』は本格的な教学書ですが、『御文章』(お文)は文字も読めない一般の人々に贈られた教化用の手紙でした。
ここでは徹底的に民衆の悲惨な境遇に同感し、「随他意説」のみで仏法が説かれていますから、浄土とは何か∞如来とは何か≠ニいう法の真実面を明らかにする作業はほとんど為されていません。また一切衆生悉有仏性≠ニいう面の展開もありませんので、「機法一体」であるはずの衆生と如来の関係が、まるで「機」と「法」は別の存在である≠ニいうような印象を抱かせます。つまり衆生はとことん愚かで劣っていて、如来はとことん賢く尊い≠ニ思わせる表現であったり、如来の慈悲心だけで罪悪深重の衆生を救済する≠ニいうような「機法合体」の印象を与えかねない表現になってしまいました。
このままでは外道の教えや啓示宗教と同じになってしまいます。つまり『御文章』を文字通りに読むと、愚民政策に協力しやすい教えになってしまい、仏教の大原則である「自灯明」さえ否定しかねません。仏教は「この世で自らを島(灯明)とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとしない」教えなのです。
ですから本当は、衆生と如来は元々一体なのであり、仏法によってその真実を幾重にも開いて明らかにし、その功徳によって本来の仏性が芽を出し身に満ち、現実に展開することを尊ぶのです。
こうした表現の問題は、時代のせいで仕方がなかったのでしょう。「生死即涅槃」とか「煩悩即菩提」と書いても当時の民衆には誤解と混乱を与えるだけです。西洋で「弁証法」が確立されたのは19西紀初頭でしたし、近代日本でも「絶対矛盾の自己同一」(西田幾多郎)という言葉はありますが、本当に理解している人は何人いるでしょう。
『御文章』は、おそらくこうした理由等から「随他意説」に徹したのだと思われます。そのため、「寂しさ」や「人生の空しさ」のみが強烈に伝わる懸念もあり、この懸念を払拭するためには、法を説く側に相当の仏教研鑽と留意が必要となるのです。
(参照:{人間は本来、尊い仏なのですか? 罪悪深重の凡夫ですか?})
それでは具体的に「白骨の御文章」を見てみましょう。
『御文章』五帖16 白骨章
【現代語訳】『蓮如の手紙』国書刊行会/浅井成海 監修 より)
さて、人間というもののよるべない有様を心を静めて見つめれば、「およそ儚 ものとは、人がこの世に生を[ 享 けてから去ってゆくまでの始中終、幻のような一生である。これだから、人が一万年の寿命を受けたとはいまだかつて聞かない。一生はすぎやすいものである。末世の今にいたっては、いったい誰が百年の姿形を保ちえようか。われが先か、人が先か、命の終わりを迎えるのは今日とも知れず、明日とも知れない。先立たれる人、先立つ人、それは草木の根もとの滴がしたたり落ちるよりも、葉先の露が散りゆくよりも多く、人の死の前後はうかがい知ることができない」と先人は言っています。[
ですから、朝には美しい生き生きとした顔をしていても、夕には白骨と化してしまう身です。無常の風がさっと吹いたならば、二つの眼はたちまちに閉じ、命の息は永遠に絶えてしまいます。美しい顔も空しく変わりはて、桃李 のような愛らしい姿も失われてしまったなら、親族たちが集まって嘆き悲しんでも、もはや何の甲斐もありません。いつまでもそうしてはいられないので、野に送って[ 荼毘 に付し、[ 夜半 の煙となりはてれば、ただ白骨だけが残ります。あわれといっても、なおいい足りません。[
人間の儚いことといえば、老いて死に、また若くしても死ぬこの世ですから、どなたも早く浄土往生の一大事に真剣に心を向けて、阿弥陀仏にお従いして、お念仏を申すべきです。あなかしこ、あなかしこ。
以上のように、「それ、人間の浮生なる相を」から「老少不定のさかひなれば」まで、延々と「相続無常」を述べていますので、読んでいるうちに、「寂しさ」や「人生の空しさ」が募り、「虚無感」「厭世観」が湧くこともあります。
しかしこれは蓮如上人ご自身の体験が染み込んだ言葉ですから仕方ありません。情の厚い上人ですから、親族との死別の悲しみは特に深かったものと思われます。客観的な教えも盛り込まれていますが、この章の主役は、どれほど嘆き悲しんでも死別の悲しみは癒されず、どんな言葉をもってしてもこの思いは表現し尽くせるものではない≠ニいう、実際に白骨を手にされた蓮如上人ご自身の慟哭ではないでしょうか。
こうした悲しみを引き受けられる姿は当時の民衆の機に応じていますのでいよいよ同感を得ていったものと思われますし、今の私たちも同じ慟哭を味わう機会が度々ございます。しかしお手紙の最後には、<たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり>との一文があります。この一文が無ければ「白骨の章」は単なる「人生の空しさ」を表現した嘆きの書になってしまいますが、上人は個人的な感情を通して仏法を味わってみえるのです。
「一大事」とは、本来の真実信心は「願生彼国 即得往生 住不退転」(かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん)と、「今・私が・この場において」の一念と継続の願いこそが問われる「一大事」なのですが、まだ五念門を修していない人々にとっては即得往生を願う状況にないので、せめて「後生の一大事」に真剣に向かい合い、やがて阿弥陀仏の願いを聞き開き、仏の名に育てられていってほしい、と勧めてみえるのでしょう。
このように如来の本願に乗託することによって、次第に仏願が自らの信心としてふり向けられ、この信心が私の人生観の柱に据えられ、生きる方向が見出され、清浄・荘厳の輝かしい一生を歩むことができる、と約束されているのです。
(参照:{後生の一大事について})
如来の願いに目覚め、如来の寿に随って生きて生きようと願う私たち。この平生(普段の時)こそが如来の願いの働く時であり、浄土の土徳が成就する時なのです。しかし死別の悲嘆の機会を逃さず仏縁を弘める上人の姿勢は、現在の仏教教団においても大いに参考とされるべきでしょう。
以下は少し専門的な話になりますが、「諸行無常」の問題で私が常々せっかくの良い譬えなのに、半面が生かされていない≠ニ残念に思っていることを書いてみます。それは鴨長明の書いた『方丈記』の最初に記されています。
鴨長明 著『方丈記』
【現代語訳】(安良岡康作 訳/講談社学術文庫 より)
遠く行く川の流れは、とぎれることなく続いていて、なおそのうえに、その河の水は、もとの同じ水ではない。その河の水が流れずにとどまっている所に浮ぶ水の泡は、一方では消え、一方では形をなして現れるというありさまで、長い間、同じ状態を続けているという例はない。
世の中に存在する人と住居 とは、やはり同じく、このようなものである。[
玉を敷いたように美しく、りっぱな都の中で、多くの棟を並べ、その棟の高さを競争しているかのような、身分の高い人・低い人の住居は、時代時代を経過しながらなくなってしまわないものであるが、その都の中の家々を、なくならないのがほんとうかと探ってみると、昔あったままの家はきわめて少ないものである。あるものは、去年、火事で焼け、今年造ったものである。あるものは、大きな家が滅んでしまって、その跡が、小さい家となっている。
その家々に住む人も、これと同じである。都の中の場所も変らず、中に住んでいる人も多いけれど、昔逢ったことのある人は、二、三十人のうちに、やっと、一人か二人くらいである。人間というものが、ある者は朝に死ぬかと思うと、ある者は夕方に生まれてくるという、世の常例は、まったく、消えたり、現れたりする水の泡に類似しているのだ。
わたしにはわからない、生まれたり死んだりする人は、どちらから来て生まれ、どちらへ死んで去ってゆくのか。またわからない、無常の世における仮の住まいというものは、だれのために、心を労して作り、何にもとづいて、目に快楽を与えるように飾り立てるのかが。その主人と住居とが、争うように、変遷を続けている様子は、たとえてみれば、朝顔の花とその露の関係と同じである。ある時は、露が落ちて、花だけが残っていることもある。残っているにしても、やがて、朝日によって生気を失ってしまうのだ。ある時は、花がしおれて、その花の露はまだ消えないでいることもある。消えないでいるにしても、しばらくの間だけのことで、夕方のくるのを待つこともないのである。
鴨長明は久寿二年(1155年)から建保四年(1216年)、平安末期から鎌倉初期にかけて歌才文才を発揮した僧侶ですが、<行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず>は、日本人ならほぼ誰もが知っている一節でしょう。私もこの一節には強烈な印象があるのですが、それはこの短い文に無常と常住の関係が見事に表現されている≠ニ思ったからです。
思った≠ニ過去形で言うのは、私が思った事と鴨長明が表現したいことに差がある、と気付いたからです。つまり著者自身が重要なことを見逃しているのですが、それは、<行く河の流れは絶えずして>という常住の方の譬えを深めず、<もとの水にあらず>の無常の譬えばかりを強調していることです。本当は、<行く河の流れは絶えずして>の常住の方が仏教では重要なのに、これ以上の追求は為されていません。
(参照:{釈尊と阿弥陀仏の関係2})
この
<もとの水にあらず>の内容は、おそらく仏教を学べば、いや学ばなくとも、誰もが体験している諸行無常の現実です。しかし諸行無常の足元には常住の世界が控えているのです。それが本来の<行く河の流れは絶えずして>であるはずなのです。それにも関わらずこの部分の発展・展開が無いということは、もしかして鴨長明は<絶えずして>を、物事を固定化実体化した見誤り≠ニ批判したのかも知れません。
これは教学的に言うと、<絶えずして>を「遍計所執性」のはからいとした見方です。本当は、「依他起生性」から「円成実性」に、さらに「真実報土」へと話を具体的に展開してほしいのですが、『方丈記』はどこまで行っても「依他起生性」を批判する厭世的な「無常」に留まってしまっています。
また、<知らず、生れ・死ぬる人、何方より来りて、何方へか去る>も<また知らず、仮の宿り、誰が為にか、心を悩まし、何によりてか、目を悦はしむる>という言葉も、本当の仏教者であれば、我が命の来し方、世界の行く末≠ノ皆の往生を願う浄土の菩提心を説き、諸仏浄土の有様を説く題材としなくてはならないはずです。しかし『方丈記』を読むと、そうした問題意識は欠落しているとしか思えません。
真実の経典には、こうした課題について以下のように諭しています。
『仏説無量寿経』27 巻下・正宗分・衆生往生因・往覲偈
意訳▼(現代語版 より)
「今、ここにいる菩薩たちが未来にさとりを得ることを約束しよう。
これからそのことを説くから、よく聞くがよい。
わたしはさまざまな国から来た菩薩の願をすべて知っている。
菩薩たちは清らかな国をつくりたいと志して、その願の通りに必ず仏になることができる。
すべてのものは夢や幻やこだまのようであるとさとりながらも、さまざまなすばらしい願を満たして、必ずこのような国をつくることができるのである。
すべては、稲妻や幻影のようであると知りながらも、菩薩の道をきわめ尽し、さまざまな功徳を積んで、必ず仏になることができる。
すべてみな、その本性は空・無我であると見とおしながらも、ひたすら清らかな国を求めて、必ずこのような国をつくることができるのである」
このように、菩提心をもって問えば必ず答えが発見できるところが経典の素晴らしいところです。もちろん問う姿勢が悪ければ答えは得られませんが、如来や経典の内容を信じていれば、必ず応えてくださいます。真実信心が重要であることもこれで解るでしょう。
たとえば、<厳浄の土を志求し>や<もろもろの妙なる願を満足して、かならずかくのごときの刹を成ぜん>という阿弥陀如来の直説は、<また知らず、仮の宿り、誰が為にか、心を悩まし、何によりてか、目を悦はしむる>という鴨長明の反語的質問を見事にひっくり返しています。
私たち人間は、<目を悦はしむる>ような国土を造りたいと願い志しているのです。それは一見すると夢幻のような願いですが、実はいつか必ず成就することができる願いなのです。しかもそれは大変意義のある願いで、社会的にも大切な宝となるのです。
この願いはどうすれば成就できるかというと、欲望の内容を割り開き、仏性の真実の願いに純化し、遥かなる生命の尊さの歴史を通ってきた報いを、自らの慙愧・懺悔の内に見出してゆくことで適うのです。欲望を加速させて豪華な国を造るのではありません。
迷いの衆生が未分化の欲望のまま<目を悦はしむる>ものを求めても虚しい癖が身を苦しめますが、欲望を割り開けば慙愧とともに至心が見出せ、至心を割り開けば懺悔とともに信楽が回向されています。
(参照:{三大宗教の存在に矛盾は無いのでしょうか?}#理性の役割と限界)
この煩悩即菩提、娑婆即浄土ということを、親鸞聖人は――
『顕浄土真実教行証文類』信文類三(本) 三一問答 法義釈 信楽釈
▼以下意訳(現代語版)というように、仏性が兆載永劫において衆生に報いた結果である「信楽」の本質を明らかにしてみえます。
次に信楽というのは、阿弥陀仏の慈悲と智慧とが完全に成就し、すべての功徳が一つに融けあっている信心である。このようなわけであるから、疑いは少しもまじわることがない。それで、これを信楽というのである。 すなわち他力回向の至心を信楽の体とするのである。
ところで、はかり知れない昔から、すべての衆生はみな煩悩を離れることなく迷いの世界に輪廻し、多くの苦しみに縛られて、清らかな信楽がない。本来まことに信楽がないのである。このようなわけであるから、この上ない功徳に遇うことができず、すぐれた信心を得ることができないのである。
すべての愚かな凡夫は、いついかなる時も、貪りの心が常に善い心を汚し、怒りの心が常にその功徳を焼いてしまう。頭についた火を必死に払い消すように懸命に努め励んでも、それはすべて煩悩を離れずに自力の善といい、嘘いつわりの行といって、真実の行とはいわないのである。この煩悩を離れないいつわりの自力の善で阿弥陀仏の浄土に生れることを願っても、決して生れることはできない。なぜかというと、阿弥陀仏が菩薩の行を修められたときに、その身・口・意の三業に修められた行はみな、ほんの一瞬の間に至るまで、どのような疑いの心もまじることがなかったからである。
この心、すなわち信楽は、阿弥陀仏の大いなる慈悲の心にほかならないから、必ず真実報土にいたる正因となるのである。如来が苦しみ悩む衆生を哀れんで、この上ない功徳をおさめた清らかな信を、迷いの世界に生きる衆生に広く施し与えられたのである。これを他力の真実の信心というのである。
具体的には、私たち人類の<無始よりこのかた>の無明は、人間本来が宿す仏性により五眼が開いたおかげで無明が無明と見出されてきたのであり、阿弥陀如来の<菩薩の行を行じたまひしとき>よりの浄業によって、三悪道の宿業の娑婆が娑婆であると見出されてきたのです。このように娑婆と浄土は互いを照らしあい、現実社会に浄土の働き場を見出してゆくのです。
このように、現実社会は何一つ仏法から外れたものなどなく、現実のどの一片をとっても虚しいものなどありません。
このように、今この場の私こそが永遠の法と報身の働き場なのであり、常住の世界は無常の現実以外に存在しているのではありません。私たちは無常の身でありますが、無常を無常と本当に覚れば、それは既に常住の身に成っているのです。具体的には、如来は我が身に至って、無量無辺にその働きを展開し、阿僧祇劫にわたって菩提心(寿命)が相続されてゆくのです。
懺悔こそ 我が身如来の満ち姿