子どもを指導する時、多くの大人が語るのが、「君の人生だから何をやっても自由だが、他人に迷惑をかけるようなことはするな」という意のことだ。これは現在の日本人の最大公約数的倫理観と言ってもいい程で、大方の支持を集めている言葉といってもいい。
この諭し、一見まともに聞えるが、事実とは違うし、相手の人生観に響く内容では決してない。こんな消極的な生き方を勧めてどうするのだろう。
まず考えなくてはならないのが、「他人に迷惑をかけるようなことはするな」と言っても、人は生きているだけで実に多くの人や命に迷惑をかけている、という事実だ。迷惑という言い方が悪ければ、支えられて生きている。胸に手を当てて考えてみれば、ここまで自分が成長する間に、どれほど多くの人の手をわずらわせてきたことか。時として相手を踏みつけてもきた。そして将来を考えれば、今後も多くの人や命に迷惑をかけることが予想されるだろう。
もし、「私は人に迷惑をかけてない」と言う人がいたら、それは単に鈍感なだけであろう。迷惑をかけていないつもりで「自分の人生だから何をしても自由」と考えれば、自堕落に自分の好みのみを求めることになる。
さらに、「迷惑をかけないように」との思いが強過ぎると、他人の好意を拒絶することにもつながり、どんどん消極的な生き方になっていってしまう。実際、こうした人も多いのではないだろうか。
本当は、私は人に迷惑をかけているのである。多くの命に支えられている私である。これに気づけば、「迷惑をかけて生きているからこそ」と、自分の人生をしっかり立ち上げることにつながっていく。周りの人たちと積極的に関わり、他人の迷惑を引き受け、皆と共感して生きていきたい、と願うことができる。
「自分の人生だから何をしても自由だ」と言うのは構わないが、その自由は多くの命の重みを背負った自由であろう。そして、この重みは自分を束縛する荷ではなく、積極的に生きる力となる重みである、と私はいただいている。
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