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【平成モニター】

平成14年5月15日

瀋陽総領事館内の亡命者連行事件について

― 本当は何が問われているのか ―

 傍観する姿に衝撃

 2002年5月8日、瀋陽の日本総領事館内で起こった事件は、当初、中国武装警察の「領事関係に関するウィーン条約」を無視した強引な拘束に批判が集まっていたが、亡命現場の映像が流されたことにより、日本側副領事の傍観する姿に批判が集中。中国側に「武装警察は日本総領事館の副領事の同意を得て入館し、同館に侵入した身元不明者2人を連れ出した。その後、同館の領事が中国側から事情を聞き、5人の連行に同意し、武装警官に感謝を表明した」(5月11日中国外務省・孔泉報道官)という信じがたい談話を発表させる隙を与えてしまった。

 それにしても映像の力は強い。どんな高官のどんな言葉より、たった一つの映像が事件の真相を物語ってしまっている。この事態に対して、各方面からコメントが出されているが、物事の本質、問題の核心はどこにあるのだろう。

「国際的にメンツをつぶされた」とか「日本はナメられている」、という意見は多い。「主権侵害だ」と憤慨し「その侵害を傍観しているとは何ごとだ!」というのだ。小泉首相も川口外相も「中国には毅然とした態度で臨む」と繰返し述べている。
 しかし、あれはどう見ても「なれ合い」である。外務省の調査結果では、「無理はするな。最終的には連行されても仕方ない」と指示が出ていたこともあきらかになった(13日夕、川口順子外相による調査結果発表)。さらに阿南惟茂・駐中国大使が北京・日本大使館の定例全体会議で職員全員に指示した「(亡命者が)入ってきて、面倒なことになるくらいなら追い出した方がよい」という発言があきらかになり(14日、複数の同大使館関係者の証言より)、これが事件発生4時間前の訓示だっただけに影響は決定的だ。

 こんな姿勢で亡命者を保護できるはずはない。まるで日本と中国が結託して亡命希望者を排除したようなものだ。中国側はそれを見越してか「1998年5月、日本の警察官が在日中国大使館本館に勝手に入り、身元不明者を強制連行したことがあるが、中国側は日中関係重視の精神に基づき対応、処理した」(5月11日中国外務省・孔泉報道官)というカードを切ってきた。権力側がなれ合いになると、多くの場合、個人の人権が侵害される。今回もそうした経緯で非情な事態を招いてしまったのだろう。

 人間としていかに行動するか

イメージ

 この問題で、あるTV番組では副領事の対応について「子どもの頃から国旗を敬うように教育しなかったせいだ」などという批判が出された。しかしこれは全く関連の無い話である。コメンテイターが普段から持っていた意見を今回の事件にかこつけて披露したまでだ。まして、軍備を強化すれば他国から一目置かれる、などという馬鹿げた発想はするべきではない。

 本当に問われるのは、責任ある人たち一人一人が「貧苦にあえぐ人々の救済を自分の課題としているかどうか」である。マニュアルの不備や準備不足もあるだろうが、それ以前に「人間としていかに行動するか」を優先させていない体質が各省内にはびこっているのではないだろうか。

 そしてこれは近代人、特に官僚・役人の体質問題で、常に上司の顔色を伺い、報告書の作成に全神経を使い、それ以外では面倒を避け、人間としての使命を黙殺することが大人になること、という気質が蔓延してしまっているのではないか。ひと昔前までは、それが経済の発展に寄与するものとして奨励されてもいた。その結果、金と引き替えに人情を捨て、宗教心は遠ざけられつつ邪教を生み、問題が起これば開き直ったり責任逃れに[うつつ]を抜かす人間を大量生産してしまった。

 もう、そんな気質で国が成り立つ時代ではない。

 最悪の未来図

 今回の事件によって、外務省の問題はさらに国際的な注目を集めることとなった。しかし、これをきっかけに単に自国のメンツを守ることばかりに奔走するのではなく、本気で国民や平和を必要としている人々を守る気があるのかどうか、を問いたい。
 特に、「有事関連3法案」が審議される時期である。また「個人情報保護法案」ではメデイアへの規制も検討されている。これがどんな結果をもたらすかは想像をたくましくすれば予想できよう。運用の仕方によっては、国民すべてを役人の監視と配下に入れることを可能にする、と言っても過言ではない。

 確かに、有事の際の行動をマニュアル化していないことは問題であろう。しかし危険が近づけば人々は逃げ惑う民となってしまうのだ。軍事に協力する人もいるだろうが、反対する人や、その余裕の無い人たちもいる。自分を守るだけで精一杯の人々に、さらに様々な圧力を加えるような法案になっていないだろうか。また、あれこれ理由をつけて個人の情報を勝手に入手し、自由な行動を阻止することにもつながるのではないか。官僚による情報操作は常に行なわれてきたが、これでますます磐石になってゆく。法律は本来、権力を持つ側の不正をより厳しく正す方向に向くべきだが、作成者が役人では自浄努力に頼るしかない。しかしこれを期待できる状況ではないだろう。逆に権力者側の不正は暴かれにくくなってしまうのではないか。

 銃口や権力の刃が結局は民衆に向いてしまう、という事実を私たちは歴史で学んできた。条文化された法律は一人歩きをして、当初宣伝された解釈を大きくねじ曲げる事実も知っている。余程厳密に法案を練らないと、後の人々に負の遺産を残すことになるだろう。

 私たちの子孫が、有事の際、その生命を守ってくれるはずの人に傍観されてしまう・・・。そういう未来図だけは現実になってほしくないと切に願っている。

[Shinsui]

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