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【本・映画等の紹介、評論】

ひとりふたり・・ 聞法ブックス1

海をこえて響くお念仏

張偉(チャン・ウェイ)/法藏館


怒りから悲しみ そして喜びへ

◆ 漢文で味わえる中国人

 仏教に漢字はつきもので、日本に入ってきた教えも漢字で記された経典がほとんどである。また、その後日本においても仏教の論文は歴史的に漢文が多用されてきた。
 親鸞聖人の顕わされた『顕浄土真実教行証文類』も、漢文で書かれている。「だから難しいんだ、もっと簡単にできないのか」という意見はよく聞く。もっともだとは思うが、「その分、漢字圏の人々には理解が早いのではないか」という憶測が私にはあった。
 ただ逆に、和製英語がネーティブな欧米人には通じないように、もしかしたら日本で使用されてきた漢文は和製漢文であって、中国の人々には読めないのではないか、という懸念も若干あったのだが・・・

 結論を言えば、そんな懸念は全く的外れであった。ここに紹介する『海をこえて響くお念仏』の中でも、「使い慣れた中国語の言葉で親鸞聖人の声が響いてきたとき、肉体に沁み込むほどの感動を覚えました」と、中国人の張偉(チャン・ウェイ)さんは味わってみえる。

◆ 階級闘争の「正義」

 それにしても、この味わいが生まれるまでに、彼女が受けた屈辱と怒りはどれほどのものだったろう。私たちが日本で知っていた「文化大革命」は、単に「共産主義の政治的な運動が先鋭化したもの」くらいな理解だったが、実際に中国人個々が心身に受けた傷は容易には消えそうにないものだった。

 日本人の経営する会社に勤めていた、というだけで「日本のスパイ」として糾弾され、激しく罵しられ引き立てられていく父親。絶望的な状況を見つめる周りの目は、実に冷たい。

 見物している近所の人たちは、ほとんど批闘される本人か、その家族の立場でした。それなのに、その人びとの目には、同情よりも、自分より不幸な人のことを見るときの優越感が現れていました。それを感じたとき、私は寒気に襲われ、恐ろしい孤独感に捕らわれました。

[中国の文化大革命の体験]

 同じ日には、別の批闘された幹部が12時間の罵声を耐えた挙げ句、家族からも見放されて自殺する。そして人々はその家族にも冷たい言葉をあびせてゆく。

 こうして12才にして「むき出しになった様々な人間の悪」を身を持って知ってしまった張偉さんは、また、残虐なふるまいをする人々もごく普通の人々であることを知り、次第に階級闘争の「正義」に対する疑問を持ちはじめる。

「正義のために戦う」、この信念は今日においても正しいことのように受けとめられていますが、この疑いようのない信念こそ「信念のために敵を殺してもよい」、「殺されたら殺す、死には死を」という戦争の論理を肯定する口実になています。戦争のことだけではなく、今でも、この論理が人々の心を捕え続けているのです。

[長春の八月十五日南京大虐殺]

 敵と味方の対立関係を拡大させ、戦争を正当化し、敵の邪悪を理由に「正義」の名のもとに暴力を無制限に使用する――これについて、憤怒の代償として日本人を虐殺した農民の行為を例に、また原爆の被害を「まだ少ない」と怒鳴った南京の教師を例に、報復心理の悪循環が引き起こす残虐性にも触れている。

◆ 隔たりのない世界

 その後張偉さんは、サルトルの実存主義に魅かれたり、荘子の超越の思想に夢中になったりしながら、三十数年間夢中で過ごす中、野間宏の文学研究が縁で、親鸞思想に出遇います。

 親鸞聖人の教えは、苦悩するどうしようもない人間のためのものだと思います。人間が絶望のどん底にいるときこそ、この教えは力強く感じられます。
<中略>
 その大船は、海の上に浮かんで溺れそうな人を海から救い出すのではなく、海より大きくて、もがいている人間と海そのものを載せている大船だというほうがよいと思います。

[念仏者の人生感覚]

 このような雄大な味わいは、「悪人正機」についても善と悪を対立的に見ることを注意深く避け、また有名な教行信証の後序の文面・・・

 主上臣下、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ。これによりて、真宗興隆の大祖源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考へず、猥りがはしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。予はその一つなり。しかればすでに僧にあらず俗にあらず。このゆゑに禿の字をもつて姓とす。

≪顕浄土真実教行証文類 化身土文類六(末) 後序≫

 この文についても、単に「民衆のために不正な権力者と戦う」というだけの常識的な怒りではないことを指摘している。

 戦いつつも、親鸞聖にはもう一つの目があります。それは戦っている自分をも宿業の眼で見つめる目なのです。それこそ、親鸞聖人が今日の私たちに教えてくださる大切なことなのです。<中略>それは階級闘争の理論に苦しんだ私が、みずからの肉体の痛みを通して実感したことです。

[法然の念仏教団の法難]

 こうして「親鸞聖人のお心が怒りから悲しみへ、さらに喜びへと転換する」いきさつが、『教行信証』全体を通して書かれてあると述べている。

 親鸞聖人は、宿業の自覚を得て、隔たりのない世界を感得し、自他対立を超えた深い真実の信心の境地を一語一語に披瀝され「悪循環」を超える道を開いてくださいました。

[南無阿弥陀仏に生きる道]

 親鸞聖人を通して、曇鸞大師の声も、さらにアジア、世界の遥か彼方からの「南無阿弥陀仏」の声が肉体に染み入り、共に包まれ、励まされ、救われている。そのことを、張偉さんの苦悩を縁として私たちにも目を開かせてくれるこの『海をこえて響くお念仏』。たった48ページの小冊子ではあるが、大きく肯ける本である。

[Shinsui]


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