平成アーカイブス  <旧コラムや本・映画の感想など>

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【本・映画等の紹介、評論】

希望の国のエクソダス

村上龍/文藝春秋


希望は創造してゆくもの

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが希望だけがない」

 時代を読む嗅覚に優れ、次々と問題提起をしてきた村上龍氏が、2000年7月の段階で放った小説がこの『希望の国のエクソダス』である。ここでは「教育とメディアの現状が機能不全に陥っている現実をどう捉えるのか?」という問いかけに自身で答える形で、『中学生による独立国建設』という選択肢を、希望をつなぐ形で提示している。荒唐無稽で話にならん、という感想で正解だが、単なるホラ話以上のものはあるようだ。

 教育とメディアの機能不全

 突然80万人の中学生が不登校になった。その原因をつくったリーダー的な存在の一人と目された通称「ポンちゃん」が国会で証人喚問を受ける。上記した文はその時の言葉だが、喚問までの経緯を読むと、これがリアルな説得力をもってくる。
「義務教育だから誰でも中学校に行かなければならん」と言う議員に対しポンちゃんは、話し合いができない旨を冷静に伝え、日本の現状と今後の計画を発表する。

「愛情とか欲望とか宗教とか、あるいは食料や・・・ 上下水道施設など、生きていくために必要なものがとりあえずすべてそろっていて、それで希望だけがない、という国で、希望だけしかなかった頃とほとんど変わらない教育を受けているという事実をどう考えればいいのだろうか、・・・ 希望がどの程度生産性を上げるかというような検証もできていませんが、外国から見ると、希望を失った国に対する最良のスタンスは、略奪ということになるでしょう。歴史的にそういった略奪は数え切れないほど実践されています。・・・ 金融資本は肉食獣のように、弱っている獲物から襲っていき、柔らかい部分から、捕食していきます。・・・ 彼らが狙うのは、狙われていることを知らない子羊のような国です。・・・ 養鶏場の鶏たちは、何も不足はないと思っていることでしょう。はっきりしているのは、今のこの国と同じで、養鶏場には希望だけがないということです。
<中略>
普通、学校というところはリスクを特定してくれて、そのリスクを管理するための訓練とか勉強を行なうんだと思うんですね。それがない以上はそこを出て、自分たちで何とか自分たちなりにリスクを特定しながら、それを管理するようにしないと、あまりにも危険すぎるでしょう?

 彼らが見た日本の現状、つまりそれは日本のリアルな現状なのだが、それを伝えないメディアの問題も小説中に出てくる。

前の戦争のときに、国民は真実を知らされなかったってよく学校で聞いたけど、軍部が国民をだまそうとしただけじゃないと思うな。真実を知る度量がないというか、真実を知ったところで何もできずにうろたえるだけだから、知らせたくても知らせることができなかったんじゃないかしらね。
<中略>
「日本人は昔からこんなにもろかったのかしらね」

 金融・経済に関わる者が、バブル崩壊で失った信用を取り戻せず、さらに新しい信用を創造する努力を怠り、既得権益だけが守られ続けた、そうした現状を聞けば聞くほど暗澹たる気持ちにさせられる。

 中学生による新たな展開

 そうした現状を変革し、そこからの脱出が果たされる方法は、老テクノクラートの案として小説中にしばしは提示される。

 危機感だけがものごとを考える力を生む、・・・ 手ひどい失敗をしたあとは、痛みを伴うプラグマティックな分析をしなければならない。もちろん日本はそれができていない。

 小説では近未来において日本は、危機感を失ったまま更なる危険を冒し、「円圏アジア通貨基金構想」が保守的な没落階層から支持を集め実施に移される。そしてある時、一斉に円が世界中からアタックがかけられ、円が売られ、同時に通貨基金に参加していた国も円を売って自国の通貨を守る行動に出る。この二重のアタックで国は完全に破産してしまう。

 そうした危機を乗り越える唯一の方法として、先の老テクノクラートは「新しいビジョンを提示する大きな集団が日本に現れることだろう」と言うのだが、小説ではその言葉を実現するように「ポンちゃん」たちの活躍が展開する――

 情報通信のネットワークに参加していた中学生数十万人が、ネットワークを駆使し、海外の業者と組んで億単位の金を稼ぐ。ネットワーク保護のソフトを開発して配信。ホテルを買収して職業訓練施設や学校を創設。国会での証人喚問で海外に認証されたASUNAROネットワークは日本での評価・批判から除外される形で認知される。やがて先の円アタックで原因となったデマ情報を流したのは彼らではないか、という憶測が流れ、彼らはこの時天文学的な金額を稼いだことが知られる。

 やがてASUNAROの北海道への移住計画が実行に移される。自らが通貨を発行し、風力発電でエネルギーを確保し、百を超える関連事業はその半数が超高収益を上げていく。それはまるで独立国家のような様相を呈してゆき・・・

 これが日本の現状を変革し得る数少ないシナリオのひとつだとすると、また、この位の規模で創造的な活躍をしないと希望を託せないのだとすると、やはり現状の閉塞感が重症なのに気付かされる。
 小説を読む進めていくと、「本当に中学生にここまでやれる力があるのだろうか?」という疑問は最後まで残るし、「今後この事業の勢いが止まった時は彼らだけで解決しうるのか?」、「そのうち閉鎖的な小集団になってしまわないか?」という懸念も生れるが、これはひとつの現実的な夢物語として、現状の日本の閉塞感を打破するモデルの一つとして考えると、著者の示す方向性も現実として見えてくるのではないだろうか。
 つまり、著者の描くシナリオは、現実にはまともに論議すべき内容ではないが、国会や官僚が語っている景気回復のシナリオも、やはり現実感を失っていて、まともに議論すべき内容ではないのかも知れないのだ。

 最後に、蛇足かもしれないが、「痛みを伴うプラグマティックな分析をし、新しいビジョンを提示する」というのは、「無明煩悩の原因を探り、その克服のため、浄土という新たなビジョンを示す」と解釈すれば、まさにこれは仏教者のなすべきことなのではないだろうか?

 なお、『日本人に生まれて幸せですか』 では、この書に猛烈な批判を加えているので併読をお勧めする。

[Shinsui]


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