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【映画・書籍等の紹介、評論】

ハリー・ポッター と賢者の石

Harry Potter and THE PHLOSOPHY'S STONE

映画化というより映像化の魅力


 世界中で大ヒット「ハリー・ポッター」シリーズの映画化第一弾。小説をほぼなぞって映像化されているところが魅力なのだが、映画としての限界もそこにありそうだ。

◆ 魔法にかけられた世界

 最近はファンタジーものの映画化が目白押しだが、その中でも「ハリー・ポッター」は世界中の子ども達を魅了し、ついでに大人も巻き込み、せち辛い現実を忘れてしばしの逃避行を可能にしてくれる。

 ストーリーとしてはよくある魔法モノであるが、人々を魅了して止まないのがその設定――人間世界では虐げられていたハリー・ポッター少年だが、魔法世界では有名人で、生まれてすぐに悪の親玉を叩きのめしていたんだゾ――という、「みにくいアヒルの子」的設定である。

「生まれながらにして世界最強」という設定は現実ではあり得ないが、世界中が魔法にかけられた後では誰も指摘する者はいない。アニメの世界でも、星飛馬が大リーグボール養成ギブスなどで鍛えまくる姿は遠く過ぎ去り、やわらちゃんが幼少時に柔道家の父親を投げ飛ばす姿に共感する(これも古い)くらいだから、魔法という逃避的な世界ではむしろ基本的な設定となるのだろう。

「みにくいアヒルの子」が美しい白鳥になって飛ぶ姿を夢にみるのは楽しく、「アヒルのまま大人になっても、魅力的な生き方をすれば美しいのよ」などとは諭せないのだ。

 また小説では「ホグワーツ魔法魔術学校」での寮生活がこと細かに描かれ、前近代のイギリスの文化を背景に重厚さまで感じさせてくれるのだが、この映像化に関しては見事に成功している。小説を読んだ者にとってはこの映像化だけで充分堪能できるだろう。

 ただし、小説にどっぷりはまってしまった子ども達、特に台詞を全部丸暗記してしまったような小学生にとっては、「あのセリフがなかった」とか「本当はあそこでハーマイオニーも戦ったのに」という不満が残るらしい。
 また、クィディッチのシーンは浮遊感が希薄でTVゲームの域を脱していない。スクリーン画面ならではの迫力が欲しいところである。

 登場人物と俳優のイメージについて個人的な感想を述べると、ハリーの友人たちや、ハグリッド、マクゴナガル先生、フーチ先生、フィルチなどはぴったり。しかし、ダンブルドア校長は少し線が細い気がするのだがいかがだろう。またスネイプ先生については、おそらく皆は「ピッタリ」と言うだろうが、私はもっと嫌味な「間」を期待して読んでいた。これは私が嫌味な性格を内に隠しているから、今回観た程度では生やさしく感じるのだろう。さらに、登場人物中最も演技に魅力を感じないのが無表情なハリー。しかしこれは設定上やむを得ない事かも知れない。

◆ 現実の魔法使い

 魔法使いとか魔女というと、日本の子ども文化の中では実に微笑ましい姿で描かれる。そしてその<子どもだまし>にだまされる子どもは少なく、現実に魔法が使えると信じている大人はいないだろう。
 しかし、かつて西洋では魔法使いは現に存在した。もちろん、ほうきに乗って飛ぶ魔女も、猫に変身する魔法使いも存在しない。ただ人々の頭の中、自然に対する畏怖の念の中に存在していたのだ。

 さらに、中世ヨーロッパにおいては、教会の権威を守るため、自分達よりも優れた文化に対して徹底的な弾圧を行なったことでつかんだ確信、この確信の中にも魔法使いは存在していた。

 特に薬草治療を施す老女は、当時の教会公認の医師たちの医療(例えば水銀を飲ませたり、瀉血を行なう)よりはるかに治療効果は優れ、権威を落とされそうになった教会は、彼女たちを<悪魔との契約によってそれを行なっている>と決め付け、次々処刑したのである。

 特に出産時における陣痛の苦しみは「神が与えた苦しみ」であり、それをやわらげる治療は「神に助けを求めて挙げる心の底からの叫びを奪い取ってしまう」とされ、施せばすぐに魔女の疑いがかけられ、それを晴らすことは不可能だった。(この考えは現在でも根強く残り、自然分娩に固執する病院もある)

 中には治療が成功した直後に患者の大主教から告発され火刑された女性もいた程で、特に15世紀から18世紀にかけては盛んに異端審問が行なわれた。当時処刑された人(特に女性)の数は天文学的な数字に登ると考えられ、人類史上最悪の出来事として記憶されている。

 一見、このような血なまぐさい話は、現代のおとぎ話とは関係無さそうに思える。しかし、現実に西欧人の意識の底には、歴史的にこうした巨大なトラウマが存在し、そのトラウマによって実に多くの物語や芸術が産み出されきた。そして多くの場合、結果としてひとつの権威に従属する物語となり、権威から遠い人々は差別を受け、そこから立ち上がろうとする人々は魔法使いとして蔑まれる、というシステムで階層社会の成立を助けてきた。

 しかしハリー・ポッターの世界では、魔法使い側から人間を「マグル」と呼び、逆に差別する者の存在さえ示している。もちろんそうした架空の差別をさらに否定する方向に物語は進むようであるが、こうしたことを皮肉に用いているのか、それとも過去の記憶を反芻して出しているのかは判別がつかない。

 とにかく、西欧で書かれた物語に魔法使いが登場する時、現実に処刑された人々の事をどう考えているのか――つまり、権威による虐殺を追認する立場で作ったのか、それとも無実の罪で処刑された人々の立場で作ったのか、は、きちんと見定めなければならないだろう。もちろん、ハリー・ポッターの世界には、<自然賛美の中で人間が共存していく喜びが詠み込まれている>ことは重々承知の上で述べているのだが。

公開:
2001年
監督・製作総指揮:
クリス・コロンバス
製作:
デイビッド・ヘイマン
製作総指揮:
マーク・ラドクリフ、マイケル・バーナサン、ダンカン・ヘンダーソン
原作:
J.K.ローリング
脚本:
スティーブ・クローブス
撮影
ジョン・シール,a.c.s.,a,s,c
音楽:
ジョン・ウィリアムズ
出演:
ダニエル・ラドクリフ、エマ・ワトソン、ルパート・グリント、ロビー・コルトレーン、リチャード・ハリス、マギー・スミス、アラン・リックマン 他
[Shinsui]


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