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【映画・書籍等の紹介、評論】

フォレスト・ガンプ

FORREST GUMP 一期一会


[1994年製作/監督:ロバート・ゼメキス/脚本:エリック・ロス/出演:トム・ハンクス、サリー・フィールド 他]

◆ 湾岸戦争とベトナム戦争

 湾岸戦争が終わった時、ニューズウィーク誌に次のような政治漫画が載った。「悪夢のような戦争が終わりました。つまりベトナム戦争です」という台詞を大統領が言うのだ。この言葉は実際のアメリカ人、特に政府関係者の本音をよく言い表していたのではないだろうか。

 映画『フォレスト・ガンプ』はベトナム戦争をはさんで物語が展開するが、この状況は明らかに湾岸戦争で"大勝利"を収め『強く正しいアメリカ』を自負した立場で描かれている。と同時に、ここには2つの視点が存在する。

◆ 単純な架空の視点

 一つは『単純明快で前向きなヒューマニズム』の視点である。この視点はひたすら主人公フォレスト・ガンプを追う。

 IQが75しかなく、身障者だったガンプ。そのせいで常にいじめられていた彼も、ベトナム戦争に参加し、持ち前のがんばりで軍隊生活に見事に順応してゆく。上官の命令をひたすら守り、迷いなく任務を果たしていくのだ。時にはベトナム兵に銃弾を浴びせ、塹壕にとどめの手榴弾を投げ込む。そして仲間を助けた功績が評価され、大統領から勲章までもらう。

 帰還後、戦死した黒人の仲間との約束を守り、無謀と思われた仕事を始め、やがて大成功を収める。収益は仲間の家族にも与えられ、豊かな生活を保証する。ハンディがあっても常に前向きに生きる、まさに素朴な理想を視点とした架空の(原作では完全なほらふきの)アメリカだ。

◆ 複雑な現実の視点

 もう1つの視点、それは『現実に生きた若者たち』の視点である。こちらはガンプの幼なじみのジェニーを追う。

 彼女は常にガンプの良き理解者であるのだが、やがてヒッピーとなり反戦運動に身を投じてゆく。しかしその生活は自堕落を極め、様々な裏切り、絶望が彼女の心身をむしばんで、やがて死を迎える。(原作では平凡な幸せをつかむ)

 当時、国策に堂々と異議を唱え、世界の若者に影響を与えた彼らの姿は、今にして思えば裏側はこんな生活だったのかと想像(もしくは誤解)してしまう。観客の心情は既に彼らの側には無いのだろうか。
 しかし当時の若者の現実はこちらであった事を忘れてはなるまい。そしてそこには、アメリカ以上に傷ついたベトナムがあったはずだ。

◆ 通じない言葉

 これら2つの視点は、基本的に並行して物語が展開するが、度々交わる場所がある。これはおもに、ガンプがジェニーに言い寄る場面である。これは心情的には、今のアメリカが過去のアメリカに呼びかける場面ではないだろうか。その中でも重要な示唆が2個所ある。

 1つは反戦集会の最中におきる。集会に紛れ込んだガンプは、主催者から「君も何か言いたい事があるんだろう」と、促されマイクの前に立ちスピーチをする。だが妨害者によりマイクのコードが抜かれてしまう。一体この時、彼は何を訴えたかったのだろう。映画では音声の途切れた事に頓着せず、スピーチを続けるガンプが写る。

 本来このスピーチこそ製作者サイドの本音であり、過去と現代のアメリカが交わる場面であったはずだ。ここで音声が消されたということは、観客一人一人に台詞を委ねるということでもあろうが、この時代この場所では言えない台詞、言っても通じない言葉だ、という示唆でもある。それは戦争賛美という単純なものではないだろう。だが当時の反戦活動家やヒッピー達の反社会的な行動に対して、何らかの反論であることは確かであろう。

◆ 繁栄だけでは埋まらぬ溝

 もう1個所、重要な示唆がある場面、それはぼろぼろに傷ついたジェニーとガンプが体を重ねる場面である。彼は大きな心でジェニーを受け入れ、慰めを与えようとする。だが次の日、ジェニーは彼のもとを去ってしまう。傷ついたかつてのアメリカと、自信を取り戻した今のアメリカ。繁栄だけでは埋まらぬ溝がそこに投影されているのではないだろうか。

 やがてジェニーはガンプの子を産み、そして死んでゆく。かつて自ら引き裂いた二人の、そしてアメリカの切ない愛の結晶。人々はこの残された子供に何を託してゆくのだろうか。

[Shinsui]


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