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【本・映画等の紹介、評論】

フェノロサと魔女の町

久我なつみ/河出書房新社


 冷たい故郷

  明治時代、アーネスト・フェノロサは日本で最も有名な外国人の一人であった。彼こそ西洋文明崇拝の流れの中で破壊の限りを尽くされていた日本の伝統文化をぎりぎりのところで救った大恩人である。
 現在でも教科書にも載っているし、文化に興味の有る人は当然知っている。まして日本画にたずさわる者で彼の名を知らぬ者はない――はずなのだが、学生時代、日本画専攻の友達が“最近まで知らなかった”と言っていた。先日そいつの絵を○○万円で買ったけど・・・。

 ところがフェノロサの生地セーラムで、今彼のことを知る人は少ない。当時は彼の活躍はアメリカ中に伝えられ、当然故郷では大々的に偉業が称えたのにである。そしてさらに不思議なのは人々の記憶に残っていないだけではない、何と記録にも残っていない。

 たとえば、セーラムの隣のダンヴァーズ市やピーボディ市の図書館は、彼の偉業の集大成である『東亜美術史綱』をもっている。同じくマサチューセッツ州のメルローズ市は、詩人エズラ・パウンドが序文を寄せたことで知られる『詩の媒体としての漢字考』を現在も開架図書にして、広く市民に貸しだしている。ニューヨークや遠い南部の州さえもっている彼の著書を、出身地セーラムの公立図書館が一冊も所有していないのは、謎としかいいようがないのだ。
 [プロローグ]

 ここに目を付けた作者 [久我なつみ] は、その謎解きに奔走する。

 その過程で見えてきた、アメリカの宗教史、日本文化の伝えられ方。フェノロサの深い洞察と熱心な収集活動。そしてその請け売りで名を上げ結局裏切ってゆく多くの友人、政財界人たち。また、国粋主義により逆に汚されてゆく日本文化――そうした激動を描きながら、欧米人にとってのみならず、日本人の日本文化の理解までフェノロサの影響があったことが述べられている。

 フェノロサにとっての宗教

 アメリカは、現代文明の先端を走るかたわら、歴史的に宗教が大きな役割と弊害をもたらしてきた。フェノロサが見た宗教の暗黒面は生地セーラムにおいても顕著で、かつて悪名高き魔女裁判が行われたことにも表れている。

 感性のするどかった彼は、思春期から、人を断罪して地獄に送るキリスト者たちに疑問を感じつづけていたのかもしれない。移民の子としてセーラムの周縁にあった彼は、主流をしめる清教徒たちの底に抜きがたくある厳格さ、排他性を、より鋭く感じざるをえなかっただろう。清教徒たちを、憎んでさえいたかもしれない。彼らがのし歩くセーラム社会に、父親マニュエルは溶けこみきれず、自殺をとげてしまったのだから――
<中略>
 フェノロサの心の軌跡をたどると、仏教への改宗が当然の帰着であったことが、理解される。キリスト教を棄ててはみたものの、うつろなままの心。
 その空虚を、生の真理と慈悲の思想体系、すなわち仏教が埋めたのだ。
 [第三章]

 必然的に仏教に改宗したフェノロサ。しかしアメリカのキリスト教社会では、それは決して理解される行為ではなかった。

 フェノロサ一家にまつわる事実を確かめるたびに、その謎めいた行動に、彼らの苦悩の深さを思わずにはいられない。
<中略>
 彼ら移民の哀しみ、心の奥を、私たち日本人が理解するなど不可能なのかもしれない。
 そして当時の町の人たちは、理解するどころか、避けることしかしなかった。異教に改宗した彼にたいして、表だった排斥運動こそおこなわれなかったが、反感がくすぶっていなかったはずがない。
 [第四章]

 こうして故郷はフェノロサを見捨ててゆく。彼は意に介さず我が道を行くのみであったが、やがて美術品流用の疑惑が持ち上がり、公職からも追放される。

 高尚な美から俗なる美へ

 様々な屈折を経たフェノロサは、その波乱から美の見識も年と共に明らかに変化する。

 音楽家の両親をもち、ハーバード大学を優等で卒業したフェノロサは、狩野派絵画や能といった、貴族的で高踏的な芸術を好んできた。通俗を憎み、さげすんできた。ところが、ニューヨークでまさに地に堕ちた彼は、以前とは異なった視点で、世の中を見ざるをえなくなった。
<中略>
 浮世に添い、浮世に生きた北斎に、フェノロサは、はじめて理解をしめしたのである。
 [第五章]

 しかし現実の日本は、日清戦争勝利の奢りから、軍国主義が台頭、血生臭い文化が氾濫し、彼を幻滅させる。そして最後まで友人であったはずの岡倉天心も、彼を裏切ってゆく。

 フェノロサのいないボストンで、天心は、フェノロサの切り開き、踏み固めた道をたやすく追って、日本趣味をひろめるのに成功していく。
 屏風絵、枯山水の庭、そして茶の湯――
 多層的な日本文化から、高踏的なものばかりを好んだフェノロサの趣味を、まさに天心はなぞったのだ。
 だが、アメリカ人に愛されたという天心の庭園をそぞろ歩き、私は疑問を抱かざるをえなかった。
 ボストン美術館の巨大建造物の狭間に、行儀よく納まった日本庭園。
 ここにある日本とは、いったい何なのだろう。
 [第六章]

 フェノロサは、55歳という若さで急逝する。そのため東洋文化の第一級の理解者であった彼のライフワークの著述はついに完成を見ることなく終わる。彼の包括的な東洋文化の理解を、今の私たちは果たして成し得ているのだろうか。それだけに「あと1年でも寿命が長らえていたならば」との思いは、私たちにも共通の無念さとして残る。

[Shinsui]


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