平成アーカイブス <研修会の記録>
以前 他サイトに掲載していた内容です
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平成10年3月5日 | [index] [top] |
[講師・加藤幸子 師]
皆さん今晩は。「社会福祉のお話を」ということですが、私は専門家ではないんです。ただ本願寺の『ビハーラ活動』の始まりました時から、月に2回、場所は違うんですが、老人ホーム、それから経費老人ホームの2個所で、10年ぐらいになります。それと、12年間『民生委員活動』をさせててもらっておったということ、それと、『私自身が障害を持っておる』というところから、お引き受けをさせていただいて、何か問題提起がさせてもらえるといいなと思いまして、ここに座らせてもらっております。
◆ 孤独な人が増えている
民生委員をさせてもらって、ものすごく今感じておる事は、昔は民生委員は生活保護金の支給の手伝い、しかもその支給を受けるに値する困窮者か“監視する”みたいな、そんなおかしな仕事の役割も持っておりました。でも今の民生委員は、生活保護金の支給という仕事は、ほぼ、ほぼ、ありません。それはなぜかと言うと、年金制度というものが、しっかりしてきたためです。
その代わり、前と違って増えてきたことは子供たちと一緒に生活できない、そういう所帯がとっても多いのです。一生懸命子供を学校にやって、所帯を持たして、一緒に生活できる、そういう夢を持っておったと思うんですが、私の住む白山町というのは大きい会社がありません。そうすると皆、都会で就職をし、そこで家を建ててしまいまして、結局親が残される、そういう家庭が増えてしまいました。
それと、折角一緒に住める家庭を持ちながら、家庭の中では孤独な親の姿が今顕著に現れてきております。
皆さんは感じられませんか? 今、機械がものを言う時代ですやん。車までがものを言う(カーナビ)やし、ところがそれとともに人間が言葉を失ってきておるんが、今の時代とちがうかなと思います。
折角、家族で生活しておるのに、言葉が全然通っておらない、折角通う言葉でも、否定の言葉ばかりが交わされておる、それが今の家庭の姿とちがうかなと思います。なかなか肯定の言葉『そやな』という言葉が聞こえやんのが、今の時代です。
◆ 1番弱い人が生きてゆける社会
社会福祉というのは、「自分はこっち置いといて福祉」と、思うんやけど、どこまでいっても自分というのが1番の中心になるもんです。社会福祉というのは、お金をかけてすごいことしていく、そんなことやないと思うんです。
例えば電話ボックスでも、背の高い人から低い人から、力のある人からない人から、自分に応じたところを使えたらいい、日本の場合は一律やもんで気がつかん。それが幸せなのかも知れんけど、電話ひとつでも色んな高さができたら、どんなに生活がしやすいやろかなと思います。
みんな自分が高齢者になってゆくんです。高齢者になるということは、力を失っていくということです。今は皆さん若くって元気やけど、あと40年50年したら耳の力なんて無うなってくる。そんな時、外から電話をかける時、今の電話機ばかりだったら、とても使うこと出来ません。どういう電話機だったら使えるかというと、スピーカー装置が付いているもの、これがどの電話機にも付いていておれば誰でも使える、誰でもという事がとっても大事だと思うんです。私らは自分さえ便利やったらええと思っているけれども、1番弱い人が生きてゆける、そういう社会が自分が生きてゆける。そして自分の身内が生きてゆける、と思います。
福祉というのは言葉で言うと抽象的ではっきりせんのやけど、私は福祉というのは具体的に言うと、「気に付いたことを声に出してゆく」これがとっても大事なことやと思います。
健常な人というのは、自分のことと違うから、話を聞くだけで終わってしまう事だと思いますが、声を出して言うお手伝いをしてもらえたらいいなと思います。
例えば車の排気、あれ一つにしても誰も気付いてもらえんと思うけど、車椅子乗ってるとまともに入ってきます。その身にならんことには分からん。
道の形にしても、排水のため道がかまぼこ型になっています、そうするとお年寄りは乳母車引いてますから、中央に出てきて危ないんです。きちっと水平になっておったら、安全なのにということ。考えてゆくといっぱいあると思います。
公共の施設には、車椅子の人が駐車することができる『優先スペース』そんなんあります、そんなもん中々入られん。誰かみえれば遠慮して入りませんけど、そうでなかったら平気で入ってゆく。またバスでも鉄道でも、シルバーシートていうものがあるけれども、中々そこが空いているということはまずありません。弱い人というのは座れんけど、強い人が座る、そんなことがいっぱいあるんです。
◆ その身になる、肯定の言葉、信頼の言葉
そこでひとつの問題提起としては、その身にならんと分からん。そこのところをどういうふうに気付いていくか。
もうひとつは先ほども申しましたが、福祉というのは、生活がどれほど不自由であっても、お金が十分無くっても、肯定の言葉それがあったらクリアできる部分の方が多いのです。肯定の言葉というのは「そやな」と言うてもらう言葉やと思います。
それと信頼の言葉、これは繰り返すっていう事です。これは私の12年間の民生委員の活動の中で学んだことですが、例えば「坊守さん、私今日は足痛いんや」こう言います。皆さんそうやって言われたら、皆さんどんな返事をなさいますか?
「ああ、そうか」こうやっておっしゃるでしょうか。私も「ああほんま。そおー。ああ、辛いね」って。こやって長いこと言っておった。それが、同じ言葉を繰り返す事によって、全然違う人間関係が生まれてくることに気付きました。つまり「坊守さん、私今日は足痛いんや」と言われたら「ああそう、今日は足痛いん」というふうに、言われた言葉をもう一度繰り返す。これは前に進むとっても大きな言葉やと思います。
これは社会福祉だけでなく、地域においても家庭においてもとっても大事なことやと、こんなふうに思います。
私達は普段否定の言葉しか使わん。例えば「今日は雨やな」って、言われた時に「そやな」と言えたら、これは立派な社会福祉やと思います。それが実際、どやって言うかといいますと「春先やから、雨も降るわいさ。当たり前やん」って、中々素直に「そやな」っていう言葉が出しにくい。そういう自分というのも感じておるんですが、社会福祉を私の体験から言うと、そんな大ごとな事やなくって、自分の言葉を受け入れてもらえる、それが苦しみを、障害を乗り越える大きな力になる、ということを味わって頂きたいと思います。
こんなところで問題提起とさせていただきまして、また話し合いの中で話させて頂きます。
質疑応答
それでは先生の問題提起を受けて、話し合いに入りたいと思います。
◆ 自分の価値観だけでは理解できない
A.O: 先生の方から、「自分がその身にならないと気づかない」ということと、「肯定的な言葉を使う」ということを聞かせてもらいましたが、皆さんどう受け取られましたか?
自分が問題にならなければ、気づかないでしょうが。
M.O: 言われないと気づかないですね。余っ程想像力が強ければいいでしょうが、どんどん言ってもらわないと。
N.I: 自分の基準というのがあって、その中で判断してしまいますから、気づかないことも多いと思います。
先生: 自分の価値観な。自分が良いことや、と思うとる事でも、あかんこともあんるんやでな。私は足が悪いもんでな、階段のとこへ来ると、腕を抱えて下さるけど、あれ位歩きにくいことないんやな。せやけどご好意だで、それでいいんやけど。困った価値観というのがあって、手すりが階段にあるけど、あれも歩きづらい。健常者には使いやすいやろせど、障害者は体を振ることによってバランスを取るんで、あんな固定された手すりは動きにくいの。スエーデンの手すりというのは「くの字」というか「はの字」というか、障害者が使いやすくなってる。価値観の違いというのは、そういうところ。多分健常者がスエーデン行っても、気づかないでしょう。
N.I: それを見たところで、意味が理解できないわけですね。
先生: ですから、電話がシルバーホーンになることと、階段のてすりについては、機会があると伝えさせていただいておるんです。でも、どれほど伝えたってそうならない。いくら言っても聞いてくれない。民生委員など色々な会議で言っても、県庁にシルバーホーン全部ということは絶対無い。 私は3つの時、一晩高熱で小児マヒになって、右下肢部の障害と、両方の耳の神経と鼓膜が全部アウトになって、でも、どうしてここまで言えるようになったかいうと、生まれつきでなかった、ということがひとつ、それから、小児マヒになってからも、母が糸電話で私に言葉を届けてくれた、それが耳の骨を刺激して、中学1年生のとき補聴器をつけるようになったら、もう訓練とともにちゃんと言葉が回復してくれた。せやけど価値観・・・私ら、これでええと思って見るもんなあ。手すりがついとったらええと思うもの。
M.O: 他にも何か気づかれることはありますか? これは違うぞというか、やってはあるけど、何も役に立ってないというような。
先生: 役立たない訳ではないですが、例えば電車のシルバーシート、あれは守られていないですね。それと、たった16cm間口が広くしてもらえたら、車椅子で公衆トイレが使える。健常者が使えても障害者が使えないものは多いけど、障害者が使えるものは健常者も使える。一番弱い人が使えるものが誰でも使えるんです。駅の改札も車椅子用のところがあるからいいけど、段差もあるし、エレベーターの無いところもあります。誰でもみんな、一緒に社会生活して行く事がまだまだ出来やん。
M.O: ある意味、ハンディー負った人が過ごし易い町というのが、負っていない人にとっても過ごし易いんでしょうね。
先生: 私らみんな歳とったら障害者になるんやでな。聴覚障害者になる、知覚障害者になる、痴態障害者になる・・・
◆ 行政に声が届かない
M.O: どうやったら変わるんでしょうか? 公共のものなんかは無理ですから自分の手の届くところからとか。
先生: なんで変わっていかんのやろな。不自由している人はちゃんと声として出るけれども、なかなかそれが具体的な形になっとらん気がする。
M.O: 道路を掘り返す予算はあるのにねえ、そういうところに使ってほしいですね。
N.I: 行政のやることというのは、何か義務としてやっているかんじがあると思うんですが。
先生: しといたらええという場面があります、言われなんだらええという。
N.I: それが本当に使い易いかというのは別にして、これ作りましたからいいじゃないですか、という感じが多いと思うんです。最近名古屋市内の公園なんかは、車椅子用のトイレが増えていますけど、トイレの前に段差があったりして、そこまでどうやってたどり着くかは考えていない場合があります。
M.O: 一人モニターが就けばいいのにねえ。それか、自分で車椅子使って試せばすぐ分かるでしょうに。
先生: お互い“恵まれたいのち”やもんな。
K.H: パラリンピックの影響で、善光寺にスロープが付いたようですが。
先生: ああ、あれは良かったなあ。
K.H: スロープは車椅子使用にとって負担じゃないですか?
先生: 大丈夫。車椅子乗れる人っていうのは、年寄りになってからの人は介護が要るけれども、青年というか壮年というか、手の力が強い。
足が悪い人は手の力があるとか、私みたいに目が耳の働きをするとか、すごく助けてもらう部分がある。電話やラジオから音をもらうのは苦手やけれど、お顔で見せてもらうとか、その方が分かります。テレビで音が少々無くたって、表情が見えておれば大概のとこは分かります。
それで車椅子の話に戻りますが、本願寺の境内な、車椅子は有るんやけど、タイヤの確認してないから全然乗れない。使う人なんて無いだろうと思って置いてあるだけや。役に立たない。空気が抜けてしもうてあるもの。その時にようやく空気を入れたら、今度は砂利が噛んで動かへん。それで総長さんに話して、車椅子が動けるように今はしてもろたんです。
これは大事な事なんです。本山やで声を出した事に応えてくれたんです。でも広い日本ということになってくると、中々・・・
K.H: 行政に声を届かせる手段というのは有るのですか?
先生: あります。民生よりも障害者団体で声は出します。出すけれども、かき消されていくんやろか。ちっとも具体的な形にはなりません。
K.H: 行政の中には、障害を持たれた職員さんというのはいないのですか?
先生: おると思いますに。今から23年前、国際身体障害者年の時に、企業は一定率の身障者を採用する、という条例ができましたから、職場に障害者は入っております。でもその障害者というのは恵まれてる。健常者と互して仕事していける、せやもんで、結局健常者の方に流れていくんとちゃうやろか。
本当に声を出さんならん人が出せない。それはきっと傷害年金を受けておるとか、そういうことがいっぱいあるんやと思います。変に遠慮というか・・・
でも今私が言っておるのは、みんな将来なることです。みんな障害者になっていく。
◆ 誰もができる社会福祉
M.O: 目が悪くなると新聞読むのも大変だし、ということから始まって、何をやるのも億劫になると聞くんですよ。で、大体50代位でそうなっていくとすると、私も後ん十年後には経験する訳ですよね。今は小さい字でも読めるけれど、やがて読めなくなる、と、新聞の字も今のままでは困るようになる。読めない人用の新聞、文字の大きな新聞を作ってほしいですね。考えてみれば、今でもそういう人は多い訳ですから、2種類作ればいいのに。
T.U: 以前に比べれば、大分大きくなりましたよ。大きすぎると、文字数が減ってしまうもんで。
M.O: 経本を渡して檀家さんと一緒にお勤めする時など、小さい文字では見えない人もあります。最近は大分大きくなりましたので有り難いです。
先生: せやな、本当に。
M.O:2つ目の提案の「相手の言葉を肯定する」というのは、言われてみるとそうですね。私も実行しようと思います。
先生: これは私からできる社会福祉やと思います。繰り返して言葉を受け取る。これはとっても安心される。自分の言葉が伝わったと受け取ってもらえるみたいです。
M.O: お互いツーカーで分かっているつもりで、相手の言葉の次を言おうとするから、話がこんがらがっちゃう。1回繰り返して、その後で自分の言葉を言えば、“受け取ってもらえた上の意見”になるんでしょうね。
先生: 私の12年間の民生活動で得た一番大きなものはこれや。言葉をそのまま声に出してもらう、これです。はい。同じ言葉言うても、皆受け取り方違うもんな。
K.H: 「大変ですね」とかいう言葉は、冷たく受け取られてしまうんでしょうか。「大変」で、片付けてしまうと、言われた方は“本当に分かってもらえたのだろうか”と、心配になる。
M.O: 「ああ、痛いんですか」と言えば、「痛い」という事は伝わったと、相手に分かってもらえるわけですね。
先生: 日常よく「大変ですね」は使ってしまいます。
K.H: それで“しまったな”と、後から思うのですが。
先生: その後「かわいそうに」なんてのは、絶対に言っていらん言葉やでね。
K.H: あと、お見舞いに行って「頑張って下さい」って言葉も、使っちゃうんですけど、本人はもう充分頑張っているのですから、言わなくてもいいのに、つい便利で使っちゃうんです。「頑張る」って、いい言葉のようで、そうじゃない。
M.O: それに代わる言葉は、何かないでしょうか?
先生: これもひとつの“気付き”だと思うのですが、癌で入院してみえた先生が、みんなから「頑張れ」と言われて、“これ以上どう頑張るんや”と、思われた。それで自分にとって最高のお見舞いだったのは、ただ「うん、うん、うん」と、最後まで肯いてもらうだけのお見舞いだったそうです。
私ら、ただ「うん、うん」だけだったら、何やら足りなく思い、言葉を先にかけてしまうけど、どうも違うみたい。聞くと言うのが大切ですね。
K.H: 私も聞く事を大切にしようと思うのですが、最後に部屋から出る時、つい色々言ってしまうんです。何かいい言葉ないですかねえ?
先生: 最後はどんな言葉かけられます?
K.H: 「早くよくなって下さい」という言葉は避けようと思うのですが、どうでしょう。「また来ますからね」とか・・・
先生: それはいい言葉ですね。
K.H: 本当は患者の身にならないと分からないのでしょうね。こちらは“つもり”で言っているだけですから。
先生: 何気なく言っている言葉が、ものすごく相手を傷付ける事もあるもんな。
K.H: 本当にそう思います。
◆ 自分から声を掛けられたら
先生: 皆さんはいかがですか? 例えば、足の不自由な人が駅なんかで大きなかばんを持ってみえる、そんな時「持ってください」と、頼まれたら?
M.O: 頼まれたら、もちろん持ちます。
先生: 自分から、という事はありませんか?
M.O: していいものかどうかと、迷います。顔を見れば分かるのでしょうが、ちょと躊躇します。
K.H: その時の困り具合もありますし、下手に手を出して、かえって困られるのではないかと思ってしまいます。先ほどのお話にもありましたが。
先生: 先に声がかかればいいですよ。つっと持ってもらうより、安心です。それで、肩を貸してあげたらいい。肩は楽です。
M.O: 横に立てばいいのですか?
先生: 一歩前に立ってもらうといいですね。逆に腕を抱えられると、歩かれへん。
N.I: 私はつい抱えてしまってました。
先生: とにかくまず声を掛けてあげて下さい。「何かお手伝いすることありませんか?」と。自分から声を掛けられたら、相手からすごい尊いものを頂けると思います。向こうから頼まれるということは、今はまずありませんから。
人間って言葉を通して育っていくんです。
M.O: バスに乗って気付くのは、昔は障害者でなくても、お年寄りには席を譲ったものですが、最近はほとんど見かけません。
N.I: 新聞の投書欄で、87歳のお年寄りなのんですけど、満員の電車に乗りこんで、若い女性に席を譲ってもらった、ですけど自分は若いつもりなんだと、その時は座ったけど複雑な心境だったらしいんです。中には親切のつもりか逆に怒られてしまった場合もあるそうです。そうなると迷ってしまいます。
M.O: 昔は多分、立っていられる人でも譲られたら「ありがとう」と、好意に甘えることができた。受け入れる側も余裕があったように思います。互いに会話ができたのでしょう。
先生: 言葉が、心が通じないのかな。
N.I: 聞いてみればいいんでしょうね。
M.O: そういう事が滅多に無いだけに、その場で緊張し、される側も注目を浴びてしまう。どこの国でしたか、お年寄りが電車やバスに乗ってきたら、みんながほとんど立つ、当たり前のように立つ、ということを聞きました。
積み重ねだと思います。日本はその積み重ねが悪い方に向いている。
K.H: 心にゆとりが無くなっちゃたんですかね、時間もそうだけど。
先生: 言葉がなくなったのだと思います。今は指先一つで何でもできるやろ。私は昭和18年生まれですが、子供の頃はくど(かまど)でご飯を炊いていた。洗濯でもたらいだった。掃除機もあらへん、ほうきやった。そやで、そこにはちゃんと言葉があった。「ご苦労さん」、「有り難う」、「すいません」、「お安い御用です」とか。今は言葉を交わさなくても、炊飯器が飯を炊く、洗濯機が勝手に洗ってくれる、掃除機が吸いこんでくれる。今は嫁に行く時まな板と包丁要らんちゅうもんな。ご飯まで売っとる。そやで言葉が要らなくなった。
私は福祉の原点は言葉やと思う。その言葉も肯定の言葉でないとな。特に家庭が大事です。世間でどれほど“ええ人や”と思われとっても、家庭でそうでなかったらあかんと思います。
M.O: 家庭は本当に難しい。うちも親が病気をしてるから優しくしようと思うのですが、何回も同じ事を聞くと、だんだん言葉がとげとげしくなって言い返してしまいます。反省してはいるのですが・・・
家庭で福祉ができたらどこでも出来ますね。
先生: ほんまにそう。
H.T: 日本人の悪い癖で、「釣った魚に餌をやらない」という言葉がありますが、何か恥ずかしがりやなとこがあります。
先生: 家庭内では「優しくしないのが愛情表現だ」なんて変やなあ。
H.H: 電車で、私はたまたま立っていたんですけど、、長髪のロック系カップル、多分アメリカの方だと思うんですが、座ってられて、そこに老人が乗って来られました。他の日本人の客は知らん振りしていましたが、唐突にその男の人は老人を自分のひざの上に乗せられたんです。それがまた恰好いいんですよ。日本人はそういうことは出来ませんね。良い事をするのも恥ずかしがってしまう。自分が良い事をしているということを他人に見られたくないみたいな。
先生: わかりますよ、その感じ。
H.H: 私にもあるんですよ。これは日本人的な感覚でしょうか。
M.O: 何気なくされると“よく気がつく人だな”と、思うのですが、さあ自分がやるとなると、一歩遅れるんです。
先生: 色々な事に対して、無関心な人が多いと思いませんか? 関係ないとか言って。
K.H: 理屈では分かっていてもやれないというもどかしさがあります。それで実践しないから無関心になってしまう。
N.I: 子供というのは良い事をすればほめられるから、ほめられたくて良い事をしますよね、それがどこで変わるんでしょう、人前で良い事をするのが恥ずかしくなってしまいます。
M.O: 子供たちの中で“みんな一緒”という意識が出てきて、一人だけ“ええかっこ”出来なくなるんじゃないでしょうか。それに比べ、悪い事はすぐ伝染して「みんなやってるよ」となります。援助交際も「みんなやってるよ」と言って罪悪感を薄め、自分を正当化します。良い事は自覚せんと出来ません。
◆ 発言すること、聞くこと
A.O: 耳が聞こえない方でも、ひっきりなしに喋ってみえますよね、手話を使ったりして。表現の方法はいくらでもあります。むしろ物がありふれている中で皆、自己表現ができなくなっているようです。
先生: ほんまにそう、手話で心を通わせてるもんな。
M.O: テクニックではないですが、国語の教育が重視されていないことも問題に思います。言葉がないというのは、表現のテクニックもなくなっているんじゃないでしょうか。
例えば学校教育で、発言することを重要視するということにすれば、おのずと会話の機会もふえてきます。今の教育はそうじゃないですからね。○×式で、点数を取りさえすればいいのですから。発言が点数になっていないし、評価されない。そこが変わるといいでしょうね。
先生: ただ、出すだけではいけないと思います。会話にならないと。
K.H: 自己主張とわがままは違いますよね。みんな勝手に発言して、それが私の個性だ意見だ、というだけでは交わるところが有りません。聞く事も重要です。
先生: そう思いますね。私自身も反省する事が多いのですが、一方的に言うだけで皆の意見を聞くということを、家庭でも地域でもしとらんなあ。気付けばいいのに、気付かんの。それで後から気付いて“ああ悪かったな”と、思うんだけども。
K.H: 肯定的に聞くというのは難しいですね。相手の意見に少しでも異論がある場合、とても肯定的には聞けません。
先生: あのな、一端肯定して受け止めたら、相手の耳はこっちを向いています。それが相手の意見を「そんなこと言うけどな」と、言ってしまったら、どんな良い意見も通らない。ひとつ「そやな」と言えばいい。これはええ言葉です。
M.O: お寺のことで言いますと、よく迷信めいたことを質問されるんです。その時いきなり否定した言い方をすると、とりあえずは聞かれるんですが、反発される事もありました。今から思うと、迷信に頼ってしまわざるを得ない相手の気持ちが受け止められてなかったと、反省しているんです。
先生: 肯定するのは難しいけどな、本当に難しいけどな。こう言ってる自分自身も、家庭内でどんだけ「そやな」って受け取ってるか言うたら、なかなかそうやないもんな。でも、相手を否定した時、“あっ、しもた”て、受け取らせてもらえるでな。相手を肯定すれば自分が生かされることだでな。
本願寺にはビハーラという活動がありますが、老人ホーム等に行ってお手伝いをします。ホームには職員はいます、でも職員の人達は忙しい。中々年寄りの声を聞く機会が少ない。そこで私達のビハーラ活動が生きてくるのですが、お話を聞くといっても中々相手から言葉が出ない。何度も通ってやっとお話が出て下さる。また言葉が出ない人たちでも、昔の歌を歌うと一緒に声を出して下さる。どこまでいっても言葉ですね。
K.H: 一つ間違うと、単なるおせっかいになってしまいますよね。構えすぎても言葉が出ませんし。優しい言葉も計算して作ったようなものでは、相手の気持ちに届きません。
先生: ただ言葉を意識するということは大事ですね。難しいだけに忘れないで、その中で出会う素晴らしさに、また言葉を使っていって。
K.H: 自分で実感できたらいいでしょうね。
A.O: 自分の事は分からないから、人から聞いて、それで正していかなければならないですね。そうすれば徐々に肯定的になっていくと思います。
皆さん、島秋人さんてご存知です? そう、短歌の歌人です。
大連で生れて、子供の時に両親の故郷新潟の柏崎に帰ってきました。帰ってすぐ母親は結核で亡くなりました。それで父親に育てられるのですが、母の結核がうつったのか結核から脊髄カリエスになりました。それでもどうにか小学校は卒業するのですが、薬の後遺症から耳が不自由になりました。ストレプトマイシン、ペニシリンというのは末梢神経に副作用があるんだそうです。今のように補聴器が無い時代ですから、本当に聞こえにくかったと思います。
聞こえないという事は、中々ものが理解出来やんのです。全盲の人というのは耳から入るので、比較的ものが理解し易いんやけど、耳の不自由な人と言うのは、勉強がスムーズにいかんで苦労する事が多いんです。
彼も勉強がスムーズにいかなかった。そして学校ではお客さんのような存在だった。けど、義務教育ですから落第ということはない。
ある体育の授業で、先生が「回れ右」の号令をかけた。その号令が聞こえなかった。先生の顔を見ておれば分かったんやろけど、子供ですから、そう集中してばかりいません。号令に従わなかった彼を先生は張り倒して、なお自分の靴でビンタした、というんです。何という先生かと思うのですが、そういった悔しさが募り、彼はどんどんひねくれていきました。そのため中学校を卒業することなしに、家庭裁判所を通って社会に出て行きます。
社会に出ていっても彼は手に職をつけることが出来ず、やがて27歳の時に農家に強盗に入る。そしたら家に奥さんがおった。それでその奥さんを殺してしまうんです。
◆ たった一言のほめ言葉が
刑務所の中で、彼は自分の生涯を振り返ってみます。すると、自分は褒められた経験がほとんどなかったけど、ただ1回だけ中学1年生の時、担任の先生から「構図がとってもいい」と、褒めてくれたことを思い出します。
その先生に向けて手紙を出した。すると思いがけずその先生から分厚い返事をもらった。その返事の中に、先生の奥さんが短歌の歌人であることが書かれてあり、故郷柏崎を詠んだ歌が3首入っていました。彼はその短歌にすごく心引かれ、また先生と奥さんが刑務所に面会に来られたご縁で、彼は短歌を詠み始めます。
さて奥さんは彼の短歌を添削している中で、自分だけが見ているのでは勿体無い、世に出そう、という事で、雑誌その他に投稿する道を開けていきました。その時のペンネームとして柏崎の海にちなんで「島」、「秋人(あきと)」というのは囚人にちなんでつけました。そしてたくさんの歌を詠み、次第に評価も高くなり、愛読者も増えていきました。
歌を紹介するつもりやなかったから、歌集を持ってきませんでしたが、例えば、死刑が決まった自分にパンをもらったけど、自分だけで食べるのは空しく、すずめに食べさせて・・・というような歌だったと思いますが、私は心に残りました。
(編集者補足: “ 極刑と決まる身となりわがまきしパンをついばむすずめ写生す ” 『遺愛集』1967年 東京美術より出版)
島さんは刑務所で念仏とのご縁を深くされ、その中での作風というのも多くあります。
こんな歌をつくるんやから死刑は免れてほしいと嘆願署名が出たそうですが、彼は自分の犯した罪を悔い、死刑は当たり前と受け取り、遺族の方にお詫びをし尽くし、やがて32歳でとうとう死刑が実行されました。
たった一言の褒め言葉が、島秋人さんに歌を作るきっかけを与え、お念仏にも出あわしてゆく。そう思うと私はどこまでいっても人間のよりどころは言葉、それも肯定の言葉によってお互いが生かされていく。福祉というのは生かされるということです。
私が今出来る福祉の原点というのは、難しいけれども「そやね」と、共に肯いていける、共感できる。これがひとつ大きな原点だと思います。
難しいけど、し易いことです。し易いけど難しいことです。
そして福祉の原点は家庭だと思います。まず家庭において言葉を大切にして頂きたいと思います。
以上