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【Oの食卓に花束を】

嫌煙ラプソディー

どこでも煙たがられる時代に

 とあるお宅で

 数年前に夫を亡くし一人暮らしのあるご婦人が、大理石で作られた立派な灰皿とライターと煙草入れを前に、ヘビースモーカーだった夫の思い出を語られた。 大理石でできた喫煙セット

「居間でも寝床でもトイレでも、どこに居ても吸っていましたから、家の中じゅう煙草の臭いで溢れていました。その頃は各部屋に灰皿を用意しておりましたが、すぐに一杯になってしまうのです。夫が亡くなってからは、家の中から綺麗さっぱり臭いは消えました。その分私は煙草の臭いに敏感になりましたけれどね」と。

 確かに以前は、煙草を吸う人がいる家庭では煙の臭いが各部屋に充満し、特にトイレでの喫煙臭は強烈であった。また家族に喫煙者がいなくても、客が来ると途端にニコチン臭くなったものだ。
 それでも煙草は紳士の嗜みのように考えられ、文化としても一部門を確立していたと言える。特に洋風の居間がある家庭では、この大理石のライターに象徴されるような勿体をつけた喫煙セットが必ずといっていいほど置かれていたものだ。もちろん喫煙が健康を害することは以前から指摘されていたことだが、大人の嗜み≠ニいう魅力の前ではそれは小さな懸念に過ぎなかった。

 しかし近年、様々な科学的・医学的データが発表され、健康被害の懸念は喫煙者本人のみならず、副流煙によって周囲にまで悪影響を及ぼすことが知れ渡り、嫌煙の波は一気に世界に広がった。欧米では特に厳しい規制がかかり、比較的規制の緩やかな日本にもこの波は押し寄せ、公共の場所はもちろん、家庭内でも喫煙者は肩身が狭くなってしまった。
 こうした人々の行き着くところは、一人ゆったりと煙草をくゆらせられる自宅のベランダのみ。かつて「ホタル族」と呼ばれた人たちも、ここまで拒否されたらもう行き場がない。

 とある研修会で

 喫煙といえば、先日、とある研修会が別院で開催されたのだが、講師の先生が興味深い話をされた。
「癌細胞というと悪の権化のように見られ、今までは外科手術によって取り除く、いわば排除する治療が主流でした。しかし癌細胞はもとは自分の細胞であり、例えば喫煙などによって頻繁にダメージを受け細胞が我慢できず、周りの細胞と手を切って癌細胞になってしまった、ある意味可哀想な細胞です。なのでこれからの医療は、癌細胞がもう一度周りの細胞と手をつなぎ直すように導く、そういう治療が試みられているのです。これは人間と人間の関係でも同じですね」

 このように述べられ、自分にとって都合の悪い人を排除したり差別することの問題点を、喫煙を例にして話を展開されたのだが、休憩時間、喫煙場所にて、
「ここで煙草を吸いながら癌細胞の話をしても説得力がないわな」と、先生はやや自嘲気味に、しかし実に美味しそうに白い煙をはかれた。わが身を削ってのお話し、というべきか。

 またとあるお宅で

 さて、先のご婦人の話はまだ続く。
「最近、無いはずの煙草の臭いがあちこちでしてましてね。その原因がようやく解ったんですよ」
 隣家のホタル族の煙が、開け放した窓や通風孔を通ってこちらへ漂ってくるというのだ。特に快晴の朝一番、窓を開放して新鮮な空気を取り込みたい日に限ってホタルがいるのだそうだ。普段自宅に煙草がない分、かすかな臭いにも敏感になってしまった彼女だが、「まさかベダンダで吸うなとも言えませんしね」と我慢することにしたらしい。

 おそらく社会全体でも、嫌煙が進めば進むほど煙草の臭いに周囲は敏感になる。自宅ベランダでの喫煙さえ実は迷惑、となれば最後は太平洋のど真ん中にでも行くしかあるまい。ならばこれを機会に皆が禁煙を≠ニ呼びかけたいところだが、私の父などは、心筋梗塞で倒れ手術で一命を取り留めた状態なのにずっと吸っていたことを思い出す。ニコチン依存はかくも強い。
 そろそろ煙草に代わる大人の嗜みが出てきてほしいところである。

[Van Gogh gogh]


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